■掲示板に戻る■ 全部 1- 101- 最新50 [PR]ぜろちゃんねるプラス[PR]  

日本史学習スレ inバリュケー

1 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/06/21(月) 01:05:20.58 ID:D7AsB+rK0
日本史についての理解を深めましょう

2 :名無しさん@破産CEO:2021/06/21(月) 05:24:42.65 ID:C48EGMmq0
なぜ鎌倉仏教の法衣は黒なのでふか?

3 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/06/22(火) 13:34:35.76 ID:QYN/lprn0
袈裟は法衣の色に合わせて好きな色のものを着ることができまふが、法衣はそうもいきません
理由は法衣の色が僧階や僧位と呼ばれる僧侶の階級によって異なるからでふ
真言宗では淡黄色→黄色→濃黄色→紫色→緋色の順で僧階が高くなり、黒色はもともとは最下層の人が着用する色でした(パジャマのような普段着として高僧が着用することもありました)
鎌倉仏教で黒色が主流になったのは浄土真宗の開祖である親鸞が僧階関係なく黒色の法衣を採用したのが一因で、後の異宗派の鎌倉仏教にも影響を与えました

4 :名無しさん@破産CEO:2021/06/22(火) 20:24:48.34 ID:i0X26KxH0
ニヒケー前スレ
日本史学習スレ
https://inter-concierge.net/test/read.cgi/inamura/1611642208/

5 :名無しさん@破産CEO:2021/06/26(土) 05:51:23.10 ID:5g2xlJ/M0
倭国と日本国は違う国だったのでしょうか?

6 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/06/27(日) 00:02:23.89 ID:seNgccpC0
倭国は中国(当時は漢)が日本のことを呼んだ国名でふ
日本国は倭国と日高見国(東北地方辺り)の2カ国に分かれていたという見方があり、それら2カ国を合致させて付けた名称だと言われていまふ
東北地方は大和政権の権力が呼ぶまではあまり開拓された地ではなかったため、当時は倭国とは違う別の国があるという見方がされていたようでふ(これには諸説あるので一概に正しいとはいえませんが)
倭国という名称は後漢書で光武帝に「漢委奴國王」の称号を授けたとの記述があるため大昔から知られた名前でした(ただ金印では倭の字が間違えられていまふ)
なので倭国=日本国は一概に間違いでもないし正解とは言い切れないしという何とも微妙な結論になってしまいまふ
倭国の倭の字には卑しいという意味があるため、金印を授けられた時代(57年)から中国からすでに言わばジャップ呼ばわりされていたのかもしれませんね

7 :アンノォマロカリス(43) ◆./no.wK82w :2021/06/27(日) 08:18:33.34 ID:dzNxW2A60
>>6
今も大概なのに昔なんか中国が一番強い、ですからねぇ…
聖徳太子はよく「対等に付き合おう(提案)」と言ったものでふ
奈良時代には特産品等を都に持ってくる調という税がありましたが遠隔地から食材運ぶなんて絶対腐りそうですが大丈夫だったんですか?

8 :名無しさん@破産CEO:2021/06/27(日) 10:19:23.98 ID:KZiIg/Z70
最近保春院が実子伊達政宗を暗殺未遂は嘘と言われてるってマ?

9 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/06/27(日) 19:55:09.67 ID:XCfAOpV50
様々な諸説があるので毒殺したのはガチとか実は嘘とかさまざまでふ
伊達政宗と義姫の仲は悪かったみたいな話もあったりそうではなくて小次郎の方であったり、何が正しいかは分かっていません

10 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/06/27(日) 20:00:06.87 ID:2QD7npvI0
>>7
調税のメインは正調と呼ばれる繊維製品がメインだったので途中で腐ってダメになるみたいな話はないかと思われまふ
特産品というのは食材ではなくて紙や漆細工、焼物のような工芸品がメインでした(調副物と呼ばれ、正調とは別扱いでふ)

11 :名無しさん@破産CEO:2021/06/29(火) 06:02:27.26 ID:hxrfAJg40
三笠宮双子説ってどこまでが本当なのでふか?


12 :名無しさん@破産CEO:2021/06/30(水) 11:38:49.84 ID:QFStXCkZI
行基はどうして高僧になれたのでふか?

13 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/06/30(水) 17:44:58.63 ID:fbY8qpI80
>>11
以前ニヒケーにも書きましたが双子は畜生腹と言われ忌み嫌われる存在でした
なので双子の存在は抹消されることが非常に多かったため、今となってこのような疑惑が生まれるのでふ
昭和時代にも双子は忌み子扱いされていたので片方は即養子に出したり捨て子・死産扱いすることも珍しくありませんでした
本当に双子だったのかは不明でふが、それが事実でも嘘でもどっちみちそう言われるのが不吉なので宮内庁は当然全面否定するのでふ

>>12
彼の建築に関する知識や技術が聖武天皇に大歓迎されたからでふ
昔は民衆へ仏教を直接布教することを禁止とあったので彼の存在は腫れ物同然でしたが東大寺の大仏作りでは大活躍したので一転して彼は高僧になることができたのでふ
ちなみに、14世紀の歴史書神皇正統記では東大寺建立に大きく貢献した人物として四聖とされていまふ

14 :名無しさん@破産CEO:2021/07/01(木) 18:36:10.20 ID:CjU8oRMq0
世阿弥が南朝のスパイだったとはマジなのでふか?

15 :ガイジ滝口の武士:2021/07/05(月) 23:57:15.35 ID:ivqTAt340
最近聞くばかりであまり答えられていませんが
東条内閣を評価して近衛内閣を戦犯(重大な失敗を犯した者の意)扱いする論があるのは何故ですか?
高校で習った範囲だと近衛内閣はわざわざ開戦派の松岡洋右を排除するために解散を行ったり対米和平交渉をするなど最大限の努力はしていたように見えます(東条は開戦した当時の内閣で防衛ライン落とした責任取って辞めた事と戦後ポアされたくらいしか知りません)
当方が歴史本などをあまり読んでいないため知識不足なのかそれとも所謂ネットでウヨウヨしてる人の妄言だと切り捨てる案件でしょうか

16 :名無しさん@破産CEO:2021/07/07(水) 18:16:27.29 ID:S2QLU2uK0
新体制運動とか言うナチスのまねごとをしたり、終戦直前に天皇に終戦を主張した聖人かと思いきや東条に全責任を押し付けられればそれでいいと言い放ったり、
逮捕前に自殺して評価があまり下がらなかったりすれば歴史を嫌われるものから嫌われるのは当然
何より強調したいのが国民政府を相手とせずと言い放った張本人で汪兆銘を擁立し講和の道を閉ざしたのは近衛首相に責任があるということです
放送大学の教授も戦争責任を問うような主張をしていたのでウヨウヨの戯言と切り捨てるのはさすがに駄目です

一方の東条首相は日米開戦を主張し近衛内閣の失脚を率いたもののあそこまで行ったら世論・軍部の意向的にもはや引き下がれない状態でした
日中戦争の泥沼という事実も連戦連勝という風に言い換えれば一部の軍人が何故あそこまでが強気だったか理解できるのではないでしょうか
松岡洋右は開戦派だったというのはドイツに呼応した対ソ宣戦布告を主張したと言うことですか?
松岡洋右が三国同盟を結んだのはアメリカに参戦されないためであって仮に先生が松岡は日米開戦賛成派と言ったのだとすれば先生の言っていることは間違いです

17 :ガイジ滝口の武士:2021/07/07(水) 18:57:59.88 ID:U7N7sgZ90
>>16 授業中のメモ書きを見返した所「松岡を排除するために解散した」までしか書いてなかったため実際「松岡が“開戦論主張してて”邪魔だったから」はうろ覚えで存在しない記憶だったかも知れません

18 :ガイジ滝口の武士:2021/07/07(水) 19:04:52.47 ID:U7N7sgZ90
追記
三国同盟は「米を仮想敵とした同盟」とあったので参戦されないためというのは違うのでは?(独伊の力を抑止力とするという考えなら分かりますが)
予備校のテキストだと「対米強硬論者の松岡を排して交渉継続を図るため」とありました(勘のいい人ならテキストから当職の予備校が特定できそう)
何はともあれ「開戦派」は言いすぎたようです、失礼しました

19 :名無しさん@破産CEO:2021/07/07(水) 21:32:42.35 ID:OuN8qbgs0
なぜ平安時代以降は女流文学が発展しなかったのでふか?

20 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/07/08(木) 12:35:47.39 ID:lYZOz2pE0
>>14
世阿弥は南朝系の人間なのに北朝の足利義満から庇護を受けたというのはどこか違和感がありまふね
南朝の人間が北朝のトップにこんなに気に入られるのにはどこか裏がある、そうか世阿弥は実は北朝に南朝の情報を垂れ流しにしているんだな!スパイだ!
真偽は不明でふが恐らくこんな感じでしょうね

>>19
公家の経済力が平安時代以降低迷していったことが原因かと思われまふ
平安時代は仮名文字による新たな作風の可能性があり、更には自分の娘を天皇の妃にするべく女性に教養を身につけさせる必要がありました
そのため枕草子や源氏物語のような女流文学が国風文化の一環として誕生しました
しかし時は鎌倉時代となり武士の世の中となったことで天皇や朝廷の影響が小さくなり、教養の意義が薄れてしまいました
そのため女流文学は下火となりました

21 :名無しさん@破産CEO:2021/07/08(木) 13:41:02.67 ID:LDn2Z2Wk0
>>18
抑止力ということです
自動参戦条項と言うのは同盟国のいずれかが他国に宣戦布告された場合に参戦するということですから
参戦されないことが望ましいと考えたことと参戦することが望ましくないと考えたことは矛盾しません
独ソ戦直後に対ソ宣戦布告するのと太平洋戦争末期に宣戦布告されるのが全然違うように南部インドシナ進駐直後に米英蘭に宣戦布告するのと進駐からいい加減たってから日本の石油備蓄が干上がりアメリカの戦時体制が整ってから宣戦布告されるのとでは全然意味が違います
大抵はどの国も自分が有利な時に最初に攻撃の準備が整ってから戦争したいわけですし戦争せずに目的が達成されれば万々歳です
だから戦争せずに満州を中心に築いた経済ブロックが確定後の泥沼化した無用の戦争日中戦争(そもそも始めなきゃよかったのに)を一刻も早く終わらせようと考え外交的に有利な立場を得ようとしたのです
yourei.jp/参戦条項 多分情報源はmuyope
自動参戦条項 国士舘 レジェメ 

22 :名無しさん@破産CEO:2021/07/08(木) 13:41:04.45 ID:QPt30uwWI
ハルとの交渉を打ち切った東條が悪い
そもそも交渉が既に破綻気味だったから打ち切りは正当
よって近衛が悪い
2通りの見解があるようでふ
どっちも間違いではないような気はしまふね

23 :名無しさん@破産CEO:2021/07/08(木) 13:58:59.05 ID:LDn2Z2Wk0
南部仏印進駐をした直後に戦っていればもう少しましな負け方をした
そもそも当時でさえアメリカ相手の戦争は大国が一致団結したかドイツの民族イデオロギーがもう少し弱くて核兵器開発に成功していたのでもない限り確実に負ける
和平交渉をずるずる続けていたらドイツが負け続けて石油備蓄が無くなって軍部もアメリカに屈服せざるを得なくなり当面の間ブロック経済圏に耐えて経済の壊滅に耐えて史実よりも今の国力は弱いだろう
日本以外の情勢はこれは戦時中の米英の援助の度合いとスターリンの動向次第だが中華民国の本土存続と引き換えに史実よりも植民地の独立が遅れたといったところ
(日本が英蘭に宣戦布告しなくとも英蘭はドイツとの戦争で疲弊していた上に植民地は経済的な利点が最早薄れていて勢力圏は必要だが植民地を必要としない米ソの台頭は変わらないので)
当たり前ですが不景気になったら必ず戦争になるわけではありませんので世界恐慌があったから戦争は避けられなかったという主張には私は否定的です

24 :名無しさん@破産CEO:2021/07/08(木) 14:02:08.20 ID:LDn2Z2Wk0
>>23
最後だけ丁寧語にしてしまいました
当職 無能 

25 :名無しさん@破産CEO:2021/07/08(木) 15:46:31.44 ID:LDn2Z2Wk0
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO2841598022032018000000

26 :名無しさん@破産CEO:2021/07/11(日) 17:33:48.38 ID:0i3R7Pst0
プラザ合意がなければ日本のバブル崩壊は無かったでしょうか?

27 :しば塾 ◆2Vesh.FSeQ :2021/07/11(日) 17:35:35.60 ID:n9zlMcbb0
>>26
バブル景気はプラザ合意がきっかけで起こったんでプラザ合意がなければバブル景気がないからバブルの崩壊もないといえなくはないでしょう。

28 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/07/13(火) 00:55:30.74 ID:qbX0DLMc0
プラザ合意がなければそもそもバブル時代は来ていなかったかと思いまふ
円高に恐れて低金利で通貨を刷りまくったので土地の価格が異常なほど高騰したのでバブル経済が起こりました
地価は絶対に下がらないという迷信(?)から土地神話が信じられていました
一応バブル景気が来た前提で話しをするなら、崩壊した直接的原因は日銀と政府の自爆でふ
あまりに膨らんだバブルを何とかして収束させたかったのに引き際をミスってバブルが弾けました
引き際さえ間違えていなければもう少し続いていたかもしれません

29 :一般名無し質問者:2021/07/15(木) 15:50:11.64 ID:LAilJpv20
大隈重信が「教育はともかく政治は無能」と言われてるのは
・二十一ヶ条の要求
・工場払下げ概則失敗とインフレの大隈財政
・大審院は外国人判事任用と妥協した
・初代大隈内閣(憲政党)が内ゲバで短命に終わった
が原因であってますか?

30 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/07/16(金) 14:43:57.64 ID:NnGsbvlq0
二十一ヶ条の要求は間違いないでしょう
これによって中国の対日感情を悪化させ、列強からも日本調子に乗ってるなという印象を植えつけてしまいました
要求なんてせずにおとなしく関東州返還しておけばまだ現在の評価は変わっていたかもしれません(ただ当時の世論は黙っていないでしょうが)
当職が思う良くなかった点は伊藤派閥の転覆を謀ろうとした(結果明治十四年の政変に繋がりまふ)こと、三菱とズブズブな関係にあったこと、憲政党での内部分裂により効力がいまいち発揮できなかったことだと思いまふ
あと外国人判事任用問題を引き金に大隈は暗殺されかけているので不満を持っていた人はいたでしょうね
領事裁判権撤廃を巡っての妥協案だったようでふが、当時の日本が領事裁判権の意味をいまいち理解していなかったように感じてなりません
今考えれば全く妥協案でもないでふが

31 :一般名無し質問者:2021/07/20(火) 07:34:08.42 ID:5pAJCIYl0
関孝和はなぜ鎖国していた時代に高等数学を研究できたのでふか?

32 :一般名無し質問者:2021/07/20(火) 23:11:31.80 ID:sF5dYZit0
漢語に訳されたものならばセーフで中国や日本の文献にあまり制限はなかったからです
彼は天才だから西洋の文献なしで探求できたでしょう
後に徳川吉宗の時代に学術的価値のある洋書の輸入は認められましたが、一切西洋の文字を入れることはできませんでした
あと西洋が学問的にすべての面で優れていたわけではないので

33 :一般名無し質問者:2021/07/24(土) 22:17:32.59 ID:8+Gmc5OA0
第四次吉田内閣は不信認を喰らった(バカヤロー解散)にも関わらず何故直後第五次内閣として復活できたのでふか
やはり愚痴がマイクからダダ漏れしても吉田を望む国民が多かったのでしょうか

34 :一般名無し質問者:2021/07/24(土) 22:49:28.67 ID:8+Gmc5OA0
>>33 誤:不信認 正:不信任

35 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/07/25(日) 03:45:40.09 ID:eAs0jaVB0
知恵袋よりとりとり
https://tinyurl.com/2zmwrerf

36 :一般名無し質問者:2021/07/29(木) 19:01:07.61 ID:r8fiwgBZ0
毛利元就はなぜ一代で西日本の有力戦国武将になったのでふか?

37 :ガイジ滝口の武士:2021/07/30(金) 21:23:12.89 ID:Il+ifYT10
>>36
極めてざっくり言うと謀りだね(ドライ紋章)
具体的に言うと陶氏に有能な家臣を讒言でポアさせたりとか
この他に三本の矢(大嘘)の物語で言われるように人心掌握に強芋だった事と厳島の戦いの奇襲などに見られる戦略眼も挙げられます

38 :一般名無し質問者:2021/08/03(火) 00:46:30.75 ID:qZWFWKr60
徳川家定が脳性麻痺だったとはマジなのでふか?

39 :一般名無し質問者:2021/08/11(水) 10:23:28.90 ID:fU90PQvv0
応仁の乱についてわかりやすい本はありますか?

40 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/08/12(木) 02:02:01.07 ID:EDQrv3870
>>38
その説が有力だと言われていまふ

>>39
参考までにどうぞ
https://ranking-best.net/2832

41 :一般名無し質問者:2021/08/16(月) 13:58:29.11 ID:Asq/+C0K0
なぜ関東軍は日本政府の命令を無視し戦意拡大を図ったのでふか?

42 :一般名無し質問者:2021/08/16(月) 14:05:47.41 ID:E0mT/ae1I
日本は強い国だと勝手に自惚れていたからです

43 :一般名無し質問者:2021/08/16(月) 14:52:17.34 ID:3gpuUf++0
当時の日本は大恐慌、昭和金融恐慌を受けて特に都市部と田舎の格差が極端に広がっていました
特に田舎出身者の多い軍隊ではこれは真剣に捉えられていたようで、彼らは占領地の拡大によってこの問題の解決を志向します
その中に例えば満蒙開拓団があり、これは要するに現地の人を追い出して日本人を入植させ仕事を与えようと試みたものです
http://www.gendaiza.org/aliansa/lib/21-02.html
また日本から十分な資金を与えられていなかったらしく、足りない分を現地の人々に麻薬を売りつけることで自活します
これは最盛期には関東軍の収益の半分に及んでいたといわれ、軍板では日の丸を麻薬の旗だと勘違いしてた人の話が良くネタにされます
こういった迷惑行為はいくら中国が内戦状態にあったとはいえ余計混乱すると鬱陶しがられ、幸か不幸か利権を求める米国などの諸国が大量の支援を送ってくれていたので日中戦争になるのですが
いくら現地人に嫌われても本国が不景気で大変な中今更やめるわけにはいかないのでそうなりました

44 :一般名無し質問者:2021/08/16(月) 15:02:42.78 ID:Me0pTzZYI
板垣征四郎、石原莞爾率いる陸軍が積極でに大陸進出を目指しました
その結果が満州事変です
当時の日本政府は日本の中国進出に対してアメリカがあからさまに警戒色を発していたので慎重に行動すべきと考えていたようです(アメリカは自国で南北戦争のゴタゴタがありました)
事実満州事変は成功に終わったので、以降陸軍の暴走は止められなくなってしまいました

45 :一般名無し質問者:2021/08/16(月) 15:03:31.24 ID:Me0pTzZYI
積極て→積極的
当職無能

46 :一般名無し質問者:2021/08/17(火) 14:54:53.93 ID:xXdLh0B00
なぜ池田首相は貧乏人は麦を食えなどと言ったのでうか?

47 :一般名無し質問者:2021/08/18(水) 18:49:32.86 ID:WffgBaFWi
説明しようかと思いましたがmuyoぺの記事が詳細に書かれてるのでそれを見るのが良いと思います

48 :一般名無し質問者:2021/08/19(木) 10:07:56.01 ID:dxhJ0pMC0
なぜ江戸末期に攘夷を唱えていた人達ざ明治時代になると脱亜入欧と言い出したんでふか?
手のひらクルクル過ぎやろ

49 :一般名無し質問者:2021/08/19(木) 10:31:35.27 ID:uS3SePRQI
正に井の中の蛙大海を知らずです
いざ開国して"日本遅れてるやん"と痛感したら脱亜入欧思想にコロッと変わってもおかしくないかと思います

50 :一般名無し質問者:2021/08/20(金) 09:58:01.39 ID:6EDK67Id0
なぜ伊能忠敬は隠居の地図作りにあそこまでの情熱を傾けたのでふか?

51 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/08/21(土) 15:07:01.64 ID:bLr3V6EH0
江戸時代には暦の改訂の動きもあり、伊能忠敬は年下の天文学者の高橋至時に弟子入りして天文学や測量について学びました
江戸幕府が取り組もうとしていた改暦計画に自身も参加したいと50代の伊能忠敬は思ったのでしょう
実際伊能忠敬は隠居前から独学で暦学を学んでいたことも知られていまふ
あと測量を始めた時期はちょうどラクスマンの根室入港や択捉島への上陸事件といったロシアからの影響もあり、師匠の高橋至時は幕府に対して蝦夷地の正確な地図を作る必要性も訴えていまふ
その事業を幕府は了承し、伊能忠敬が抜粋されたのでふ

52 :一般名無し質問者:2021/08/25(水) 10:52:10.25 ID:iB28+ttF0
なぜ三内丸山遺跡では何百年も縄文人が住んでいたのでふか?

53 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/08/26(木) 02:38:18.11 ID:nqfLTGKK0
彼らは共同体(ムラ)をつくり、定住しようとさまざまな知恵をつけていったからでふ
縄文時代早期はちょうど氷河期が終わり温暖化を始めた時期であったために周囲で環境変化が起こりました
更に日本特有の春夏秋冬の自然がもたらす恩恵の影響も強く受けました
これによって食料や動植物が豊富に摂取できるようになったために何百年も住み続けることが可能となったのでふ

54 :一般名無し質問者:2021/08/29(日) 00:35:01.30 ID:Nq2c11Kb0
なぜ足利尊氏は幕府を開くことができたのでふか?

55 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/08/29(日) 03:43:34.83 ID:D0lM40/80
足利尊氏が鎌倉幕府を崩壊させた後は後醍醐天皇による建武の新政が始まるのでふが、後醍醐天皇が天皇親政を行ったり、恩賞が十分行き届かなかった御家人がいたりと、多くの御家人にとっては都合の悪い制度でした
しかも倒幕後は関係が良かった後醍醐天皇と足利尊氏との関係性も、後醍醐天皇が楠木正成や新田義貞と仲良くし出してから次第に亀裂が入ってきました
そして建武の新政が始まってから3年後に後醍醐天皇に不満を持つ御家人と共に足利尊氏が後醍醐天皇の追放に成功し、足利尊氏が新しく立てた天皇から征夷大将軍に任命してもった後に室町幕府を開きました
成功した理由は、足利尊氏を慕う御家人が多かったことにあるかと思いまふ

56 :一般名無し質問者:2021/08/29(日) 12:55:51.03 ID:FClcRzvTI
南部仏印進駐を行わなければ太平洋戦争は回避できましたか?

57 :一般名無し質問者:2021/08/31(火) 04:34:54.07 ID:EeCULSydI
南部仏印進駐でアメリカを怒らせたのは事実ですが、太平洋戦争の直接的な原因ではないかと思います
本当に太平洋戦争を防ぐのなら満州事変や盧溝橋事件にまで遡る必要があるかもしれません
援蒋ルート遮断は中国の軍事力低下は見込めても、別の大きな敵を作る可能性があったんですよね
今で言うところのタリバンは弱められるけどアルカイダを敵に回す...みたいな(あくまでも一例なので現実での話はまた別です)

58 :一般名無し質問者:2021/09/03(金) 05:08:38.05 ID:/8W7cJYS0
なぜ朝鮮半島はアメリカとソ連が分割統治したのに日本は分割統治されなかったのでふか?

59 :一般名無し質問者:2021/09/03(金) 08:03:05.63 ID:RCjHMsVc0
>>58 主に日本と戦ったのはアメリカなので他国はあまり口出しできずそのアメリカは天皇を利用して統治しようとしたため

60 :しば塾 ◆2Vesh.FSeQ :2021/09/03(金) 12:24:25.87 ID:lu/0B79H0
>>58
朝鮮半島にソ連軍が侵攻した日本本土には侵攻してないからです
朝鮮半島とソ連は直接国境を接していたので対日参戦後すぐに侵攻しました
一方で日本本土とソ連との間には南樺太と千島列島があったので侵攻が遅れ
北海道上陸前にはアメリカ軍がすでに来ていたので日本は分割統治をされませんでした。

61 :一般名無し質問者:2021/09/07(火) 12:52:15.30 ID:q+gJ/U7L0
なぜ里見義堯は注目されないのか

62 :一般名無し質問者:2021/09/07(火) 21:18:52.27 ID:WqhDxG0cI
後北条氏と覇権争いで揉めに揉めて房総半島辺りしか勢力圏にできなかったからです

63 :一般名無し質問者:2021/09/08(水) 19:41:16.03 ID:DP94Tq8j0
防人が主に東国から徴収された理由が分かりません
消耗や行き倒れのリスクを鑑みて中国地方辺りの西国から持ってきた方が合理的な筈です(特に軍事は最重要事項ですし)

64 :一般名無し質問者:2021/09/08(水) 20:13:45.71 ID:yVBis+Gc0
本来の住所から遠方なため
脱走しづらくさせるためと考えることもできます

65 :一般名無し質問者:2021/09/09(木) 08:08:09.29 ID:mDY470K50
何故坂本龍馬は過大評価と言われているのでしょうか

66 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/09/11(土) 10:22:03.28 ID:5961MBIc0
現在の坂本龍馬の評価は司馬遼太郎による創作のイメージと混合している感はありまふ
例えば薩長同盟は特別坂本龍馬である必要はありませんでしたし、何なら大半は西郷隆盛の指示に従わされていたと言った方がよいかもしれません(要するに龍馬の仲裁で同盟ができたというのは事実と異なりまふ)
それに坂本龍馬と勝海舟の関係は周知の通りでふが、一方西郷隆盛との関係性はあまりよろしくありませんでした
まずその辺から事実と異なりまふ
次に大政奉還に一役買ったというのも無理がありまふ
坂本龍馬が大政奉還の必要性を訴えたとされる船中八策は後世の作り物やジョン万次郎のアメリカの政体を翻訳しただけと言われているので、坂本龍馬本人の思想と考えることは難しく、そのため大政奉還との関係性も薄いように感じまふ
あと坂本龍馬は自由人と言うよりかはニヒリストに近い人物ではあるのでその辺りも創作要素が強いかと思いまふ

67 :一般名無し質問者:2021/09/12(日) 10:18:43.45 ID:wkHCDohp0
なぜ原敬は暗殺されたのでふか?

68 :ガイジ滝口の武士:2021/09/12(日) 20:08:54.49 ID:+0ooYrpp0
>>67 最初は初の本格政党内閣という事で「平民宰相」として期待されていましたが普通選挙には消極的だったり森戸事件などで社会主義関係の学問を断圧した、政党(立憲政友会)の腐敗などから不満が募っていきました

69 :一般名無し質問者:2021/09/12(日) 20:37:09.41 ID:S5jAOwr00
原内閣の下様々な汚職事件が起こったり普通選挙法に反対したことから民衆の反発を招いたからでふ

日本初の本格的な政党内閣といわれる原内閣ですがそもそも当時選挙で投票するには一定の税金を納める必要がありました
原内閣の与党である立憲政友会は産業の振興や鉄道の建設、軍拡などを推進して資本家に利益を与えたため富裕層の支持を得て党勢を拡大していました
しかし大戦景気の反動で起こった戦後恐慌で民衆の生活は苦しくなっていました
先述の通り当時は投票する際に税金を納める必要があったためそういった民衆の声は政治に反映しづらい環境でした
なので普通選挙法を成立させて納税しなくても投票できるようにしようという流れがあったのですが立憲政友会や原首相はこれを拒否
一方党勢を拡大する過程で汚職も行われて野党はこれらを攻撃、民衆は「平民宰相」と期待していたのに上級国民を優遇していると不信感を募らせました
原敬を暗殺した中岡艮一も彼にこういった不満を抱いていたと供述しています

70 :一般名無し質問者:2021/09/12(日) 20:37:41.21 ID:S5jAOwr00
書き込みありましたね すみません

71 :一般名無し質問者:2021/09/15(水) 22:38:33.24 ID:LHvIbkDP0
なぜ中曽根は国鉄を民営化できたの?

72 :一般名無し質問者:2021/09/17(金) 09:49:49.42 ID:zdvtduF90
神風がなければ元は日本を制圧できたのでしょうか?


73 :ZEUS208 ◆CJh/Tcvz2E :2021/09/17(金) 12:16:51.23 ID:l2oKw2Db0
そもそも元軍が優勢の状況にも関わらず海の上で神風直撃までダラダラしてたのは考えにくいです
攻めあぐねて海の上にいたか、もしくは陸から追い返されて船で逃げ出した際に神風が直撃したと考えるのが普通です
なので元々侵攻が上手く行ってなかったところに神風でトドメを刺されたのでしょう
神風があたかも奇跡の様に言われるのは、神社が幕府に恩をせびるために神へ祈ったおかげだと主張したことが大きいかとも思います

74 :一般名無し質問者:2021/09/17(金) 12:50:22.22 ID:jRSJae0mI
>>71
国鉄民営化の真の目的は労働組合遠を牽制することでした
政府関係者同士で利害関係が一致したため割と強引にでも実行できたのでしょう

75 :一般名無し質問者:2021/09/19(日) 09:42:38.14 ID:pI941mMB0
なぜ日本は他のアジア諸国のようにアメリカやイギリスの植民地にならなかったのでしょうか?

76 :一般名無し質問者:2021/09/23(木) 00:21:04.93 ID:qcalwOfD0
なぜ井原西鶴は日本永代蔵や世間胸算用といった経済をテーマにした作品を書いたのでふか?

77 :一般名無し質問者:2021/09/25(土) 22:26:46.24 ID:YUrR9mmW0
幕末に武器を輸入したりと貿易を盛んに行ったから
アヘン禁輸を条約に盛り込むファインプレー
日米修好通商条約が植民地化を防いだと言っても過言ではない

78 :一般名無し質問者:2021/09/26(日) 16:39:44.38 ID:CcSaNjeq0
名主と大名田堵の違いが判りません

79 :里見義堯 ◆fkubBbqJnQ :2021/09/26(日) 18:10:46.43 ID:iv3tJCv90
>>78
名主と大名田堵の違いはほとんどありません
とりとり

80 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/09/27(月) 02:26:56.94 ID:vb/aPFH00
>>76
井原西鶴は大阪の商家の家に生まれ、昔は俳諧師として活躍し、後に浮世草子作者へと転身しました(始めに書いたのが好色一代男でふ)
日本永代蔵は日本で最初の経済をテーマにした小説だと言われていまふ
なぜ彼が経済をテーマにしたものを書いたかに関しては想像しかできませんが、彼が商家育ちだったということと、当時は好色物の作者が多かったため、途中から差別化を図るために別のジャンルに変えたのだと思いまふ
実際井原西鶴は好色物と日本永代蔵や世間胸算用といった町人物以外にも雑話物や武家物といった作品も遺していまふ

81 :一般名無し質問者:2021/09/27(月) 16:32:11.64 ID:r8xR56OdI
律令制下の兵部省と五衛府はどういった差があるのでふか?

82 :一般名無し質問者:2021/09/28(火) 19:44:23.61 ID:fL6WUR6m0
戦国時代の東北地域がやたらと群雄割拠状態のままで
他の地域みたいに巨大な勢力に成長する大名がなかなか育たなかったのは何か理由があるのでふか?

83 :一般名無し質問者:2021/09/29(水) 01:17:06.77 ID:wJmTpf1T0
平清盛がもし源頼朝の助命をしなかった場合その後の平家は安泰だったのでふか?

84 :一般名無し質問者:2021/09/30(木) 19:43:26.73 ID:79bBywTU0
本能寺の変は光秀の独断なのでふか?

85 :一般名無し質問者:2021/10/01(金) 00:16:51.51 ID:7oPwjv9j0
>>84
まだまだ謎は多いですがいつか読んだ「歴史街道」では計画的犯行で根回ししてた説が挙げられてました

86 :一般名無し質問者:2021/10/02(土) 20:53:28.50 ID:m4TOMGAz0
金印をもらった奴国は邪馬台国に滅ぼされたのでふか?

87 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/10/04(月) 02:50:10.57 ID:YFoNfd8c0
>>82
確かに伊達家だけは少し事情が違いまふからね
豊臣秀吉が陸奥地方にまで手を出す前までは割と伊達家が好き勝手していたからというのがあるかもしれません
例えば陸奥南部氏は津軽為信の裏切り行為(結果津軽氏が独立)や檜山安東氏や浪岡北畠氏などとのいざこざがあって(頑張った方ではあるとは思うが)あまり羽を伸ばすことができませんでした
南部の支配した領地が広大が故に中央集権化が進みませんでした
九戸政実の乱が豊臣軍に鎮圧させられてからは目立ったことはありませんね
最上氏も伊達家と揉めて山形に留まったため、戦国時代においてはあまり注目されないような気がしまふ
原因はやはり伊達家・・・
蠣崎氏(後の松前氏)は檜山安東氏から独立してアイヌと貿易やったりコシャマインと揉めたりして何かと忙しかったからというのと蠣崎慶広は豊臣から北海道全域の支配権を認められたため、勢力拡大を図るための南下は考えていなかったのかもしれません
あくまでも当職の一意見でふので参考までに

88 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/10/04(月) 03:04:39.91 ID:mhWWspVu0
>>86
奴国は1世紀から3世紀にかけて現在の福岡辺りにあったと考えられる小国の事でふ
一方邪馬台国が現在のどこにあるのかは定かではない(近畿説と九州説で大きく分かれていまふので)以上、奴国が邪馬台国によって滅ぼされたというのは一概に正解とは言えませんし、
仮に九州にあったところで奴国がなくなった理由が邪馬台国と因果があるのかに関しては断言ができません
邪馬台国は当時の日本(倭国)にあった約100個の国のうち30個ほどを支配していたと歴史書にあるため、奴国は邪馬台国の支配下になってしまった可能性はゼロではないのかな?と憶測まではできまふが・・・
要するに一つ確実に言えることは大和政権が広まった時代までには確実に滅んだということまででふ

89 :一般名無し質問者:2021/10/04(月) 17:45:52.96 ID:ofrVwcIMI
>>83
平清盛の政治に不満をもつ武家大勢いましたので頼朝じゃない人がどこかのタイミングでどのみち反乱を起こしていたと思うので安泰にはならないかと
ただ反乱の首謀者が頼朝レベルなくて平家が買っていたら政治はさらに悲惨な事になっていたでしょう
藤原家の二番煎じじゃそりゃねぇ...
政治に関しては悪評の平清盛ですが、日宋貿易で貨幣経済と自由貿易を行った事や大輪田泊を整備して福原京へ遷都をした辺り、商いの才能はありました

90 :一般名無し質問者:2021/10/04(月) 17:50:18.51 ID:ofrVwcIMI
ただ反乱の首謀者が頼朝のような強い人じゃなくて平家がそれに勝っていたら政治はさらに悲惨な事になっていたでしょう

91 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/10/05(火) 03:20:24.39 ID:Z+IjNdEC0
当職も>>89師に近い考えでふ
>>90にもある通り交易面での政策は良いと思うのでふが、平安時代末頃の武士の多くが荘園の管理をして生活していたのでふが、
荘園の大本の貸主は寺院であり、その寺院を保有しているのが貴族サイドで権力を持っていた国司でふので武士も実は農民同様、税の取り立てに関して嫌な思いをしました
反発すれば最悪荘園の管理権を奪われることもあったようで、武士の権力は安定したものではありませんでした
平清盛が政界進出した際に多くの武士は威張り散らしている国司に対して何か政策を施すことで武士の権力を安定させてくれるやろ、
清盛さんは武士サイドの人間だから武士の為を思った世の中に変えてくれるだろうなと期待したのもつかの間、
清盛は太政大臣になって完全に貴族サイドに立って多くの荘園を手に入れ、更には自分たちの一族(男)は国司に、娘は高倉天皇の后にすることで一族をを天皇家にまで関係を持たせようと、
藤原家と何も変わらないことをしたわけでふので武士たちは期待を裏切られて大憤慨間違いなしでしょう
だからこそ生まれた言葉が「平氏にあらずんば人にあらず」なんでふよね
実権に溺れた平家の言葉と考えるとまた違った見方もできまふ
こうして平家と関係の薄い武士は打倒平家へ方向を向けるようになりました
加えて皇室や摂関、寺院などの所謂旧勢力も平家に辟易して協力したとも言われておりまふ
一方貴族サイドからも平清盛へ不満を募らせるようになったのも平家衰退の原因にも繋がりまふ
>>89にもある福原京遷都の目的は大輪田泊との距離を近づけて経済力を高めるため、 源頼政や寺院などによる不安要素を払拭するためとされているのでふが、この遷都を巡っても平安京の貴族と反発していまふ
政治に関しても後白河上皇から政治の権力を奪って自分勝手にやったというのも貴族が不満を募らせた原因でふね
要するに武士からも貴族からも皇室からも反感を買ったため、頼朝云々関係なく、安泰な世の中にはなっていなかったと思いまふ

92 :一般名無し質問者:2021/10/07(木) 11:02:48.84 ID:M+Wz02cD0
>>77
ノルマントン号で悪名高い日米修好通商条約でふが役に立っていたんやなあ
逆に朝鮮はなぜ同じような状況で植民地化されたんや?


93 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/10/08(金) 23:57:35.31 ID:FGpRgPzl0
>>92
伊藤博文(初代韓国統監)が韓国併合に関しては慎重派の立場だっただけに何ともいえませんわ・・・
1905年の第二次日韓協約で外交権が日本に取り上げられた時点で既に属国だったんでふよね、実は
そんでもってハーグ密使事件が起こって高宗退位に第三次日韓協約で内政権まで没収、しかも韓国軍解体&日本軍駐留を正当化、ここまで来るともう韓国は抗う術がないから韓国統合できちゃうんじゃね?という考えが広まっていったわけであって
桂太郎内閣中心に韓国統合推進を進める中、ちょうど韓国統合慎重派の伊藤博文が安重根に暗殺されたのでもう歯止めが効かなくなってしまいました
韓国側は日本に対し、合併は認めるが対等な立場でいようという対等合併を唱えた最後の最後の悪足掻き程度の声明書を上奏するも秒殺で拒否
遂に1910/8/29から1945/9/09までの35年以上の日本による植民地支配が始まりました
この流れからすると日露戦争まで遡らないと避けようがないでふね・・・
それか伊藤博文が暗殺されていなければせめてもの対等合併は実現していたかもしれないのに・・・安重根は何ちゅうことしでかしたんだ(尚韓国では抗日運動の英雄扱いされている模様)

94 :一般名無し質問者:2021/10/10(日) 00:21:47.87 ID:0ZJ59abw0
関東軍があそこまで暴走した理由を知りたいです

95 :一般名無し質問者:2021/10/10(日) 00:27:15.56 ID:JK1r2mXPI
>>41-44で関東軍についての書き込みがありますを

96 :しば塾 ◆2Vesh.FSeQ :2021/10/10(日) 11:29:20.97 ID:bmDl1o1v0
>>92
朝鮮が植民地化された大きな理由として清朝の朝貢国となったあたりから強まった
小中華思想の影響で欧米との開国に否定的であったことので近代化することに失敗したことや
当時の朝鮮では国王の周りで権力争いが起こっていて父である大院君と王妃である
閔妃が対立してましたが両者とも近代化よりも政治争いを優先し価値ために
清や日本やロシアといった外国勢力を使おうとしてたのでそれらの国々による
内政干渉が起こり結果として独立性が徐々に失われていったことが理由として挙げられます
>>93
多分安重根が暗殺事件を起こしていようと起こしていまいと結果は変わらなかったと
思います、伊藤は暗殺される半年前に桂の方針に賛成しておりそれに向けて
動いていたのでかつては慎重派でしたが暗殺直前はそうではありませんでした
ちなみに安重根が伊藤博文を暗殺した理由は彼の謎の理論のためで
彼は日本の天皇家のことを非常に敬っており伊藤博文が邪魔をするせいで
天皇が本来行いたいことを行えずまた天皇の意思に反して韓国の
独立を奪っていると考えてました、なので伊藤博文のことを
日韓両国における大逆人としそればかりか孝明天皇の死は
伊藤が暗殺したことによるものだと主張し伊藤の暗殺を
正当化してました



97 :一般名無し質問者:2021/10/10(日) 12:28:37.81 ID:3Uv/FJ+L0
>小中華思想
日本の尊皇攘夷運動とも違うのでふか?
>権力争い
14代将軍が一橋慶喜だったら違っていたのでふか?
>政治争いに外国勢力を使う
長州藩がイギリスから武器買ってませんでした?

なぜ諸外国は李氏朝鮮にしたように日本に内政干渉しなかったのでふか?
幕末に強い芋お答えください

98 :しば塾 ◆2Vesh.FSeQ :2021/10/10(日) 13:27:06.13 ID:bmDl1o1v0
>>97
小中華思想とは何かというと元々中華思想という中国にある考えがあって
大まかに言えば中国が徳のある文明的な国で遠ざかるごとに野蛮になっていくという物です
しかし朝鮮半島では一番中国に近い朝貢国であることから数ある中華以外の
野蛮人の中では最も徳がある存在で中国ほどではないものの他とは一線をかす
ものだという考えがありました。ところが清朝が成立してからこの考えが
変わります、というのも清朝を建国した女真族は中華思想に置いてかなり下の
ランクに位置付けれていたので朝鮮としては最も徳の高い中国が野蛮人によって
穢され消えてしまったと考えました。そのため中華の真の後継者は野蛮人である
清朝ではなく2番目に徳の高い我らが朝鮮であると考えたのです
これが小中華思想です
外国勢力を使うといっても朝鮮の場合武器を買うなどという生優しいものでなく
首都に清朝の軍隊を入れて対抗する派閥に攻撃してもらったり
国王自らロシア公使館に逃げ込んで身柄を保護してもらうようロシアに頼み
政務をロシア公使館で行うなどおよそ主権国家とは思えない使い方をしてます

99 :一般名無し質問者:2021/10/10(日) 15:51:06.75 ID:CEYODG1d0
>>95
確認していませんでした
当職 注意力唐澤
猛省します

100 :一般名無し質問者:2021/10/10(日) 17:51:15.33 ID:NdiQYYDR0
>>81の質問にもお答えいただけると嬉しいでふ

101 :一般名無し質問者:2021/10/10(日) 17:59:27.99 ID:m+ZdamEd0
・兵部省
律令制下で軍事の一切を司る八省の一つ

・五衛府
天皇の日常や行幸時に付き添い、身辺警護、宮城の警護、京内の夜間巡回などを主な任務とする律令制下の中央軍事組織
諸国には軍団という軍事組織が置かれた

こうしてみると全く違う組織だと思いまふ

102 :一般名無し質問者:2021/10/11(月) 13:48:16.97 ID:V0dbU/NjI
柳田國男が民芸品に着目した理由は何ですか?

103 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/10/12(火) 02:56:35.57 ID:mxnzf7HP0
民俗学というのは、日本人の伝統的な共同生活の中にある伝承や信仰、或いは文化といったものの研究を通してそこに現れる日本人本来の姿を探求しようという学問でふ
その民謡学の先駆けとなるのが柳田国男であり、柳田國男は文字資料に記録に残っていないごく一般の名も無き人々のことを常民と呼び、岩手県の遠野などの地を訪れることで常民の生活や伝承・信仰、文化を通して明らかにしていこうとしました
次いで宗教学者の柳宗悦はバーナード・リーチ(イギリスの陶芸家で、日本を度々訪れ、民芸運動や白樺派に影響を与えたことで知られていまふ)の影響を受け、
常民の用いる無名の工人により作られた生活道具(民芸品)にこそ真の美徳があると考え、民芸品の発掘や再評価をしました
柳宗悦の考えの背景には富国強兵や植民地支配を急速に進めていく近代日本のエスノセントリズム(自文化中心主義)に対する批判の姿勢でありました
恐らく柳田国男と柳宗悦を勘違いされているかと思いまふので、蛇足も兼ねて回答させていただきました

104 :一般名無し質問者:2021/10/13(水) 14:30:29.55 ID:DHG+kJsEI
平将門が関東で英雄視されているのは本当ですか?

105 :一般名無し質問者:2021/10/13(水) 22:27:56.70 ID:XC8eQJxR0
もしマリアナ沖海戦で日本艦隊が壊滅した場合その後の日本はどうなっていたのでふか?

106 :一般名無し質問者:2021/10/14(木) 07:04:36.51 ID:rTVCfHS90
最近では石田三成は西軍の首脳部からスケープゴートにされたという説も出ていますが実際のところどうなのでふか?
毛利輝元は意外と策謀家のようですが

107 :一般名無し質問者:2021/10/17(日) 13:23:45.51 ID:oa/CQgNL0
戦国時代の鳥取城の籠城戦について秀吉方が米を買い占めた結果
戦が始まった時には城中に米が殆どなく飢餓地獄になったというのが通説になっていますがこれは本当なのでふか?
織田と毛利の戦いが差し迫ってる中で城方は兵糧の貯蔵・管理すら怠っていたというのは信じがたい愚挙でふが

108 :虚無呼弖 ◆AbDmhTCTZY :2021/10/18(月) 03:38:28.70 ID:U4Hr7C3C0
>>104
平将門は教科書では朝廷に対して反乱(平将門の乱)を起こした反逆者として悪く書かれているのですが、実際は正義感が強く役人の贈収賄を許しておけない性格でしょっちゅう役人と揉めてはその度に朝廷にマークされていました
ただ民衆からの評判はよかったようで、豪族ながら民衆からは正義のヒーローのような見方をされていたと考えてもよいかもしれません
現在の平将門は途轍のもない呪いを備えているとして畏れ敬われています
大手町の一角にある将門塚は過去数回撤去されかけましたが、撤去しようとした関係者に病人や怪我人が相次ぎ、更には死者も出ているので撤去しようにも撤去できない状態で現在もオフィスビルがそびえ立つ近代文明の中で健在しております

>>105
実際に壊滅したんだよなあ・・・
壊滅せず勝利した場合の打ち間違いかと思います

109 :虚無呼弖 ◆AbDmhTCTZY :2021/10/18(月) 04:11:30.41 ID:S1vHmE0W0
>>106
当職も関ヶ原の戦いの真実を知っているわけではないのでこれが絶対の正解はないのですが、その可能性はゼロではないかと思います
西軍に裏切りが多いというのも必ずしも三成の人望が原因だとは思いません
一族の中で優先すべきなのはやはり利益で、西軍にいて一族に不利益を被ってしまうようなら三成を切ってしまおう、はたまた家康側の味方となって三成をスケープゴートするのが都合の良いと考えたのかもしれません

>>107
前年が凶作であったことや刈田狼藉を行ったこと、更に兵糧攻めにすることも視野に入れて鳥取城への食料輸送ルートと援軍の侵入ルートをかなり早い段階で遮断して完璧なまでの包囲を実現しました
そのため吉川経家は兵糧攻めされていることには早くから気付いていましたが、秀吉が先手を打っており為す術がありませんでした
鳥取城の籠城戦は米を買い占めた以外にも要因はあるため、概ね事実だとされています

110 :一般名無し質問者:2021/10/18(月) 11:21:17.81 ID:4ZK8CK/a0
>>108
史実のマリアナ沖海戦で沈んだ艦船は意外にも大鳳、翔鶴、飛鷹の三隻だけでふ
しかも大鳳と翔鶴は潜水艦の雷撃によって沈んだので、史実のマリアナ沖海戦において航空攻撃で沈んだのは飛鷹だけでふ
大敗だったにも関わらず艦船の被害がそこまで大きくないのは米軍の追撃が手緩かったためとされていまふ
(実際、追撃が手緩かったために第五艦隊司令長官レイモンド・スプルーアンス大将への批判が相次いでいました)

>>105は退却時に米軍の追撃を受けて航空隊だけでなく艦隊も壊滅した場合を想定しているのでしょう

111 :一般名無し質問者:2021/10/18(月) 12:45:57.58 ID:Kq26ntDYI
アメリカと比べると壊滅ではあったからこれは捉え方の問題かもしれませんね
なら当職は日本がマリアナ沖海戦に勝った後の世界線について質問してみたいと思います

112 :一般名無し質問者:2021/10/18(月) 19:01:24.82 ID:4waDl/y00
日本軍の中ではハワイを手っ取り早く抑えて有利な条件で講和するという意見があったようですが
それは可能だったのでしょうか?


113 :一般名無し質問者:2021/10/18(月) 20:09:54.59 ID:53RdCnIi0
承久の乱は後鳥羽天皇は鎌倉幕府ではなくあくまで北条義時のみを朝敵として名指ししてたみたいでふが
実際のところ幕府そのものを排除したかったのか義時さえ除外できれば満足だったのかどっちなのでふか?

114 :スッカー:2021/10/18(月) 20:37:46.79 ID:W3j5Pfu60
>>113
単に幕府の代表者である義時個人を朝敵とする事で鎌倉武士が離反する事を期待したのでは無いかと思われます
実際将軍の軽視などを理由に挙げ鎌倉幕府の一員である守護・地頭にも文書を送付しており在京御家人らは官軍に参加しています
勿論義時(他首脳陣)を排除しゆくゆくは勢力を削いで鎌倉の武士を統制下に置く事が最終目的ではあったでしょう
元々幕府内には北条氏の台頭を苦々しく思う勢力が存在する事は朝廷側も把握していたでしょうから義時討伐の宣旨に呼応して鎌倉の有力御家人が挙兵する事も想定していた可能性があります

115 :虚無呼弖 ◆AbDmhTCTZY :2021/10/20(水) 02:28:19.96 ID:QegMod5j0
>>110
>>105師の質問の意図を勘違いしていました
当職無能 頭ガンジョンジョン

>>111
本土決戦の時期が若干遅くなるだけで最終的に日本が辿る結末は一緒だと思います

116 :虚無呼弖 ◆AbDmhTCTZY :2021/10/20(水) 02:47:31.16 ID:l9+9q80p0
>>112
山本五十六がミッドウェーから目と鼻の先にあるハワイを占領して早期講和に持ち込もうと目論んでいたという話でしょうか
結論から述べると不可能です
それは山本五十六だって薄々不可能なことは分かっていたはずです
山本五十六は対米戦争に関して東條英機内閣に頑なに反対していました
まず陸海軍共にアメリカと戦力規模が違いすぎます
アメリカに勝てる見込みなどあるはずもないし、日本政府の目標は東南アジア占領であってアメリカ一国に対して総動員することはしませんでした(仮にアメリカに総動員でかかっても勝てないとは思いますが)
山本五十六のハワイ占領からのルーズベルトとの早期講和は日本が甚大なダメージを被る前に何とか「負けずに済む(勝ちではない)」ための言わば苦肉の策でした
先程も書いたとおり、それは山本五十六一個人の考えに過ぎず、更に当時の日本政府は戦争!戦争!戦争!、それしか頭になかったので聞く耳をもつはずもありません
山本五十六も日本政府がそんなんだからどうせ自分の意見など通るはずもないことは分かっていました
ここからは当職の意見ですが、もし対アメリカに戦力を総動員していればハワイ占領はできていたかもしれません
ただ次の講和に関してはアメリカ側が日本の要求(引き分けという形で終戦)に素直に応じるとは思えません
これまでに日本が犯してきた悪行の数々をアメリカが見過ごすはずがありませんので
日本が奪った土地をすべて返還し賠償金も支払いますとでも言えばアメリカは少しは立ち留まって考えてくれるかもしれません
ただそれに黙っていないのは戦争脳で有頂天になっている日本政府です
ベルサイユ条約で地獄を見たドイツの二の舞になるなど死んでも日本政府が受け入れるわけがありません

要するにハワイ占領はまず不可能で、仮に対アメリカに総動員していればハワイ占領まではできても講和が実現する未来はないという訳です

117 :一般名無し質問者:2021/10/24(日) 23:28:12.00 ID:L8hCZ3hq0
大友皇子は即位していたってマ?

118 :一般名無し質問者:2021/10/25(月) 12:45:08.66 ID:FWCGRTIRI
真偽はわかりませんが、大友皇子即位説という長年に渡る論争があります

119 :虚無呼弖 ◆AbDmhTCTZY :2021/10/26(火) 02:55:41.16 ID:dm8mbf5l0
>>117-118
当職もどちらが正しいかまでは分かりませんが、補足程度に大友皇子即位説について軽く概要を書きます

671年に天智天皇が崩御し、翌年の672年に大友皇子と大海人皇子による後継争い(壬申の乱)が起こり、大海人皇子が勝利して天武天皇となり即位したというのが教科書にもある通説です
これに異を唱える考え方があり、天智天皇が崩御してから壬申の乱で敗北するまでの間に大友皇子が即位式を行って天皇の座に就いていた時期があったのではないか?というのが所謂大友皇子即位説です
この論争の最大の論点が「天智天皇が崩御してから壬申の乱で敗北するまでの間に大友皇子が天皇の座に就いていた期間が1日でもあったのか否か」という点です
大友皇子即位説を理由づける根拠がそれなりにあるため、長きにわたる論争とまで発展しているのです
ここからはwikiに記述を参照します(どの歴史書に何と書かれているかまでは当職は把握していないので)
https://tinyurl.com/y3bscjp6

平安時代の即位記述においては、
>もっとも早いのは10世紀に書かれた『西宮記』で、天智天皇10年の「12月に帝位に即く」とある。
>『扶桑略記』は、「天智天皇10年10月に大友太政大臣が皇太子に立った。12月3日に天皇が崩じた。同5日に大友皇太子が帝位についた」と記す。
>『年中行事秘抄』には、大友皇子が「皇太子となり帝位に即く」とある。
>『立坊次第』(紹運要略)には、天智天皇10年に「同年12月5日帝位に即く」とある。
>『水鏡』は、「10月には大友皇子を東宮に立てた」、「天智天皇10年12月3日に失せたため、同5日に大友王子が位を継いだ」とする。
>『大鏡』は天智・天武の継承では大友皇子の即位に触れないが、別のところで「大友皇子はやがて帝になり、帝のまま失せた」と記す、また「この皇子は太政大臣の位で、つぎにはやがて同じ年のうちにみかどとなった」とも書く。

120 :虚無呼弖 ◆AbDmhTCTZY :2021/10/26(火) 02:55:57.07 ID:dm8mbf5l0
これより、平安時代の文献には大友皇子が即位していたのは事実だと書かれていることが分かるかと思います
これが即位説を支持する人の大きな理由の一つとなるでしょう
次に日本書紀です
wikiの言葉を引用すると、
>壬申の乱について、今に伝わるもっとも詳しく時代も古い史料は『日本書紀』である。
>この史料では、天智天皇の次の天皇は天武天皇となっており、大友皇子の即位は記されていない。
>大友皇子即位説とは、『日本書紀』の編者が曲筆して大友即位の事実を抹殺したという説でもある。

日本書紀には一切大友皇子が天皇として即位していたことが書かれていません
これが非即位を支持する理由でもあり、同時に即位説を支持する人は大友皇子の存在が抹消されたと反論もしているわけです
ここから先は割愛しますが、当職としては両者の言い分も筋が通っている以上は実は大友皇子が即位していた時期もあったという見方は強ち間違いではないような気もしなくはないです

121 :一般名無し質問者:2021/11/03(水) 02:07:23.97 ID:PCDppeCd0
なぜ吉田茂は再度首相に返り咲くことができたのでふか?

122 :一般名無し質問者:2021/11/10(水) 00:36:55.07 ID:wR6mgjzE0
なぜ室町幕府は鎌倉公方を置くと言う鎌倉幕府と同じ過ちを犯してしまったのでふか?

123 :一般名無し質問者:2021/11/11(木) 01:10:50.51 ID:RdH9Saofi
臥薪嘗胆の日々(迫真)
日露戦争での日本はあくまで判定勝ちであり本当の勝ちではないという言説を見かけたことがありまふが日本があの戦争で負けることはあったのでしょうか?
また負けたとしたらどのように世界史が変わったのでしょうか?

124 :一般名無し質問者:2021/11/11(木) 15:57:52.02 ID:BhxIRazP0
>>123
大規模な消耗戦に耐えきれずに自壊して負ける、もしくはバルチック艦隊が本土に到達し直接攻撃を受けることはあったかもしれません
ですが余程の失敗を重ねない限りはまず負けることはないと思いまふ

125 :虚無呼弖 ◆AbDmhTCTZY :2021/11/14(日) 02:11:09.62 ID:XA1pK2Vn0
>>121
恐らくバカヤロー解散後の話を聞いていると予想したのでそれについて記述します
違っていたら大変申し訳ありません
事の経緯から遡ると1953年2月28日の予算委員会のバカヤロー発言で同年3月14日に内閣不信任案が上程されたので衆議院が解散となりました(これが所謂バカヤロー解散です)
その後の第26回衆議院議員総選挙では自由党は与党の座を確保しました(ただ過半数はとれなかった模様)
吉田茂自身は改進党を重光葵総裁と党首会談をして(事実上)閣外協力をさせることで自由党に取り込み、内閣総理大臣の決選投票にまで持ち込むことに成功しております
こうして誕生したのが第五次吉田内閣です

126 :虚無呼弖 ◆AbDmhTCTZY :2021/11/14(日) 02:36:28.92 ID:/jF8A9EE0
>>122
当職としては鎌倉公方を置いたこと自体は失敗だという認識はありません
というよりかは置かなければもっと大変な事態になっていたと思います
鎌倉公方が京都にある室町幕府の大本にとって都合がよかったというのはさておいて、南北朝時代に足利尊氏・高師直と弟の足利直義との派閥争い(観応の擾乱)がまず背景にあります
観応の擾乱は足利直義の死という形で足利尊氏サイドの勝利となりましたが、その際に足利尊氏の嫡男である足利義詮が当時関東を支配していたのですが、父側の味方に付いて足利直義の代わりに政務を執る為に上京しました
その結果、関東の支配がいなくなってしまいましたので足利義詮の代わりとなる人物として足利尊氏の四男である足利基氏を抜擢して鎌倉公方を設置しました
ただその後の鎌倉公方はご存じの通り京都の室町幕府に刃向かい続けましたので永享の乱や享徳の乱にまで発展し、室町時代は波乱な時代となりました

127 :虚無呼弖 ◆AbDmhTCTZY :2021/11/14(日) 02:45:15.07 ID:/jF8A9EE0
>>123
言われてみれば停戦合意なんですよね、実は
日英同盟がなければまず勝っていたことはなかったと思います(それだけイギリスが強かった)
言うならばイギリスのおかげで何とか負けずに済んだ、更に言い換えれば日英同盟締結をきっかけにロシアとの全面戦争に踏み切ったのでしょう
ロシアが日本を低く見積もりすぎたのかはたまたイギリスが日本に手を貸すことが想定外だったのか、いろいろと考えようはありそうです
もちろん東郷平八郎のバルチック艦隊撃墜というファインプレーは日本ロシア共(何なら世界中)に与えた影響は大きかったです

128 :一般名無し質問者:2021/11/15(月) 14:55:54.31 ID:ut+gkGYL0
戦国時代に改易を食らった後に大名に復帰したのは立花宗茂や仙石秀久以外にも存在するのでふか?

129 :一般名無し質問者:2021/11/18(木) 10:38:27.79 ID:ncg1OuMN0
聖徳太子が実在しないというのはマジなのでふか?

130 :一般名無し質問者:2021/11/18(木) 12:22:40.37 ID:D0NoOUDhI
それは厩戸皇子≠聖徳太子説が更に発展したものです
例えるなら福山師=TK-model説が発展して福山師=創始者様説ができたようなものです

131 :一般名無し質問者:2021/11/22(月) 20:33:27.64 ID:tBqdxGcy0
浅野内匠頭が吉良上野介にブチ切れた理由は何なのでふか?
色々説があるみたいでふが

132 :スッカー:2021/11/23(火) 00:24:27.00 ID:5uQ7jB5/0
>>128
同時代ですと丹羽長秀の長男、丹羽長重や秀吉の御伽衆の一員だった新庄直頼などがいます
改易されたのち再度大名に復帰(再封)する事例は江戸時代に入ってからも複数回あり改易された大名本人やその後継が対象となりました

133 :スッカー:2021/11/23(火) 00:47:57.14 ID:5uQ7jB5/0
>>131
吉良義央は事件当時の段階で既に強欲で意地の悪い人物として知られていたようで浅野長矩をいびっていた可能性は高いとされています
浅野にとって饗応役は藩の財政の負担となり、かつ吉良との関係もあって大きなストレスになっていたようでこれらが直接の原因になっていたと見るのが主流です

134 :スッカー:2021/11/23(火) 00:48:10.34 ID:5uQ7jB5/0
後に同役同士ですが中宮使饗応役・前田利昌が以前から対立していた大准后使饗応役・織田秀親を殺害した事件が起きています
これは以前からの対立に加え織田秀親が饗応役が回覧する事になっている書物の閲覧を妨害する嫌がらせを行ってきた事が直接の原因のようですが赤穂事件の事も念頭にあったらしく確実に殺せるよう家臣に取り押さえさせてから直接刺殺している念の入れようでした

135 :スッカー:2021/11/23(火) 00:51:23.61 ID:5uQ7jB5/0
ちなみに江戸城内で大名同士や大名と旗本の間などで刀傷沙汰になった事例は何件かありますが怨恨が中心であるとされます
被害者側は多くの場合加害者の乱心と主張するので資料によって原因についての記述が異なる事が良くあります

136 :一般名無し質問者:2021/11/24(水) 08:41:54.19 ID:An+7+lG/0
生類憐みの令について悪法だという声もあれば戦国の殺伐さを抑え込んだという声もありますが実態はどんな感じだったのでふか?

137 :稲村純一 ◆X.pyrp7Fp. :2021/11/24(水) 10:56:35.91 ID:lefXiSjw0
どっちも一理あります

138 :一般名無し質問者:2021/11/27(土) 16:01:18.61 ID:iJotz/R30
前田利家がもう少し長生きしていれば大坂冬の陣は起こらず豊臣家は存続したってマ?

139 :虚無呼弖 ◆AbDmhTCTZY :2021/11/27(土) 22:57:11.90 ID:lFpGJyCH0
>>136
以前も書いたような気がしますが、生類憐れみの令のイメージは明らかにドラマ等により誇張されたものですので実際はあそこまで極端なものではありません
犬小屋設置による狂犬病防止などの公衆衛生向上や捨て子の保護規定などといった、良い面も確かにあります
あと生類憐れみの令は世界最古の動物愛護令であり、昨今問題となっている動物飼育放棄問題といった動物愛護に(目的は違うが)一石を投じたものでもありますので、当職自身は良い方向で評価しています
生類憐れみの令を史上最悪の悪法とでも言いたいのなら、治安維持法を見てこいって思います

>>138
徳川家康が前田利家を警戒していたとは思いますが、徳川家康が関ヶ原の地で勝利を収めて以降の勢いはすさまじいものでありました(例えば石高の規模が全く違います)ので、
前田利家が長生きしたり、前田家と豊臣家が連合して徳川家に協調しようとしたところで結局は争うことになっていたと思います

140 :虚無呼弖 ◆AbDmhTCTZY :2021/11/27(土) 22:57:51.25 ID:lFpGJyCH0
とは言っても家康は明らかに前田利家を警戒する動きはしていました

141 :一般名無し質問者:2021/12/04(土) 19:46:11.42 ID:U4R9xlGF0
榎本武明は本気で北海道に新国家を建国しようと思っていたのでしょうか?

142 :虚無呼弖 ◆AbDmhTCTZY :2021/12/05(日) 10:41:51.66 ID:bSX4iWkG0
榎本武揚ですとりとり
開拓士としての業務を全うしただけです

143 :虚無呼弖 ◆AbDmhTCTZY :2021/12/05(日) 10:42:27.18 ID:bSX4iWkG0
開拓使でした
当職無能 頭福永

144 :一般名無し質問者:2021/12/06(月) 23:00:50.23 ID:vC8872YU0
薩摩藩の借金250年返済とかいう踏み倒し確定な約束ってどうやって取り付けたんですか?

145 :麺包超人に強い弁護士@削除人1 ★:2021/12/07(火) 01:03:11.41 ID:saku1
廃藩置県で薩摩藩が姪になったことで実質的に踏み倒しになりました

146 :一般名無し質問者:2021/12/07(火) 17:22:20.41 ID:9og0kDBv0
>>144
単に脅迫しただけらしいです

147 :一般名無し質問者:2021/12/07(火) 19:11:46.00 ID:OKZdG0YyI
借金は背負っていたので払いはしていましたを

148 :一般名無し質問者:2021/12/09(木) 19:23:31.27 ID:AfD0ZtBY0
なぜ水戸学は南朝を正当としたのでふか?

149 :一般名無し質問者:2021/12/11(土) 09:35:31.10 ID:OQM2/w3XI
水戸学は尊王攘夷思想で有名でふ
水戸学は外国文化を廃し古の日本の体制である天皇制への復古を唱えました
鎌倉滅亡後の南朝はまさに後醍醐天皇による統治下でふので水戸学的には南朝に倣って次の時代(=明治)を作っていくべきだと言うでしょう

150 :一般名無し質問者:2021/12/20(月) 03:16:22 ID:xRdeFSNu0
瀬戸内海以外には海賊っていなかったんでふか?

151 :一般名無し質問者:2021/12/20(月) 11:18:28 ID:MqgJDeSz0
>>150
安房国に三浦半島の漁村を襲う海賊がいました

152 :一般名無し質問者:2022/01/08(土) 05:35:18 ID:DkiPODiL0
藩札って全盛期は何種類くらいあったんでしょうか?

153 :一般名無し質問者:2022/01/13(木) 00:04:46 ID:/rEzotLO0
大河ドラマ効果で13人の合議制について知ったのでふが
13人に選ばれたメンバー以外に有力な御家人はいたのでふか?
結城朝光は知ってるのでそれ以外でお願いしまふ

154 :softbank219196203032.bbtec.netガイジ滝口の武士 ◆uiVjy7fhAI :2022/01/15(土) 22:18:20 ID:4bdH6P460
日本史B 2022解説
問一 A代表的な姓で源・平(以下略)が上がっているため「平政子」は姓、「北条政子」は苗字と判断する/華族・士族・平民は明治に成立した身分なので「撤廃」はない
問2 C 「敵対する一族を都から追い落とす」「従兄弟との合戦で敗死」から「源義仲」と見抜く/「室町幕府から東国支配を任された→鎌倉府」「将軍と対立して自害に追い込まれた→足利直義」
問3 D 三浦按針は江戸初期→T松門左衛門は元禄(中期)→韮山反射炉は幕末
問4 B 「共通の漢字が付けられた→唐風」。嵯峨帝期→弘仁貞観文化という連想もヒントになる/「皇位継承順が明白に〜」と言うが図を見ると弟らには殆ど出番がない上にFGが枠外なので「明白になった」とは言い難い

155 :softbank219196203032.bbtec.netガイジ滝口の武士 ◆uiVjy7fhAI :2022/01/15(土) 22:50:23 ID:4bdH6P460
5.@ 1941年宣戦布告(太平洋戦争)→42〜45が「勝」「勇」「進」などが独占で直前まで善戦してた「清」「弘」がいない→「優勢」と判断/1926年昭和元年→27、28年「昭二」「昭」「昭三」 故に両方正
6.@ b:同姓以前に姓を名乗れません/c:「苗字帯刀」が武士の特権だった事から「武士身分との差別化」を想像できるはず
7.@ A…そもそも曇徴は高句麗人なので「来日」ではない 年号も違うB…冠位十二階、憲法十七条はいずれも「聖徳太子のやった事」と把握しておいて「6世紀の人じゃないよな」と斬るのがやりやすいか C…表を見ると「6世紀」欄に律令がないのがヒント。

156 :softbank219196203032.bbtec.netガイジ滝口の武士 ◆uiVjy7fhAI :2022/01/15(土) 22:56:04 ID:4bdH6P460
8.C aの真言宗は9世紀に伝えられた。(そこまで知らずとも「8世紀」なら奈良時代になるだろう。)cの来迎図といえば浄土教。(来迎図から連想できなくても「阿弥陀如来」から連想すべき)浄土教といえば中期なので9世紀ではない。よってb・d
9.C 「課口」が1人しかいない/逃亡した奴婢はしっかり書かれている
行数規制がかなりキツい

157 :softbank219196203032.bbtec.netガイジ滝口の武士 ◆uiVjy7fhAI :2022/01/15(土) 22:57:12 ID:4bdH6P460
当方はプロでもない少し日本史が得意な高校生なのでガバ解説かもしれないと断っておきます
10.B 少し難しいかも 十七条→養老→延喜は前提として 十七条は役人の心構えなのでU、内容的に「調」の定義をしてるTがVより先と考える(正攻法かは不明)
11.A 律令が帝の代替わりごとにやっててたまるか!というノリで

158 :softbank219196203032.bbtec.netガイジ滝口の武士 ◆uiVjy7fhAI :2022/01/16(日) 15:23:24 ID:Ews5wIZ30
普通にやると連投規制なので続きは画像で
https://imgur.com/a/3siroky
https://imgur.com/a/j1VzDKO
https://imgur.com/a/tUdxkpf
https://imgur.com/a/8wu30q9
https://imgur.com/a/iRanKGq
https://imgur.com/a/5My6T0F

159 :softbank219196203032.bbtec.netガイジ滝口の武士 ◆uiVjy7fhAI :2022/01/16(日) 15:24:43 ID:Ews5wIZ30
訂正
一番上の一枚だけでよかった
https://imgur.com/a/3siroky

160 :一般名無し質問者:2022/01/31(月) 15:13:03 ID:oVuZirWN0
なぜ最近の学説では源頼朝は平家を滅ぼす気は無かったのに義経が暴走したことにされているんでふか?

161 :ガイジ滝口の武士 ◆uiVjy7fhAI :2022/02/08(火) 20:31:02 ID:dqD3W4EL0
緊急
明治期に発行部数100万部越えを成し遂げた新聞ってありますか?
定番山川の詳“説”日本史とムヨペ見ても分かりません

162 :一般名無し質問者:2022/02/08(火) 21:16:30 ID:FsOsU5auI
横浜毎日新聞とかですかね
部数までは調べても分かりませんでしたが

163 :ガイジ滝口の武士 ◆uiVjy7fhAI :2022/02/23(水) 22:04:41 ID:UaRBVZnz0
先日は軽率な行動でご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした、滝口です
非ワでも現代語訳版などで著者の考察などが入らない日本史の史料を文学作品以外も入手する事はできますか?
本屋で歴史本を買い漁り勉強しようと思いましたが本が多すぎてどれが正しいか判断しかねる上に中には著者の思想が強い物もあり結局「自分の目で見て確かめるのがよいのではないか?」と考えたので

164 :一般名無し質問者:2022/02/23(水) 22:48:40 ID:ynRAJ+Fc0
どのあたりの歴史の資料でふかね
例えば全集とかならガチでその資料しか載ってないわけですし

165 :一般名無し質問者:2022/03/23(水) 18:00:23 ID:mmjgAfk70
今回の戦争でウクライナの歴史を見ると攻められてばかりの歴史だということに身が震える
日本は戦国時代で群雄割拠しても北海道や沖縄ありますけど基本的には独立の動きが無かったのは何故でふか?

166 :一般名無し質問者:2022/04/18(月) 17:54:25 ID:kRLrTFic0
そもそも武士・武家政権とは何だったんでしょうか?現代でいうところの軍事政権(シビリアンコントロールに対する)のようなものでしょうか?
例えば農民が蜂起して、既存の体制を崩壊させて反乱軍の首謀者が新たな権力の座に就いたところで、農民政権とは言わないはずです
武士も官吏としての役割ばかりで軍事から遠ざかっては、何が武士を武士たらしめることになるんでしょうか?ルーツですか?抽象的な理念ですか?

167 :一般名無し質問者:2022/04/24(日) 06:08:54 ID:dnmYMGUy0
日露戦争で慰謝料がもらえなかったことが日中戦争の引き金になったってマ?

168 :一般名無し質問者:2022/04/24(日) 13:16:43 ID:gTvhPMRY0
>>163
正直現在の日本史の定説とかも思想の入った研究の結果通っているものばかりなので
貴職の希望するような真水的なものを得るのは難しいと思われます

>>165
独立というか
江戸時代まではそもそもそこまでガチガチに統一した政権なかったことが指摘されますね
中央政権との上下関係とかはありますが地方勢力に一定の自治権認めていて
諸侯の領邦で形成されていた神聖ローマ帝国→プロイセンが統一したドイツ帝国
あるいは半島に諸勢力が割拠していた中サルデーナニャ王国が統一した(サンマリノや教皇領は併呑してませんが友好関係なんで見逃してください)イタリア王国と同様
ちょうど同じ時期(1870年頃)日本でも戊辰戦争後に中央集権型統一国家が成立したといわれております
>>166
平安時代から戦国時代あたりは武士を武士たらしめる要素は軍事力や警察力ですが
それだけでは政権獲得(競争)には至れません
源平藤橘のルーツがあるから武士が政権とれたところがあります
古くは平将門や藤原純友が政権転覆の恐れがある脅威になったのも軍事的強さだけでなく血筋の正当性を有していたからこそ
室町中期以降は自称子孫増えますがそれでもやはり形式的に源平藤橘の系譜をひくからこそ
大名としての地位などを主張できたり認められるというところが強いです
そしてあわよくば天下統一して号令をだす資格の一つにもなっていたと
武士が官吏の役割ばかりになって軍事色薄くなるのは江戸時代中期以降なので
そのころには武家に生まれたというルーツが大きなウエイトですね

ちょっと言語がjapanese気味ですが行間をよんでいただいて当職の言わんとすることがわかっていただけたら幸いです

169 :一般名無し質問者:2022/05/24(火) 06:34:05 ID:A5arEyFK0
なぜ薩摩は琉球を実効支配したのに幕府から咎められなかったのでふか?

170 :一般名無し質問者:2022/05/25(水) 11:03:18 ID:6IecZtQUI
薩摩藩が攻める前に幕府が許可出していたからです

こちらが参考になると思います
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/6252?p=1

171 :一般名無し質問者:2022/08/12(金) 01:49:18 ID:HNyz8ubb0
広島に比べると3日後の長崎の原爆投下ってどうも影が薄くて話題にならない気もするんやが、長崎って太平洋戦争の前と後で産業構造の転換は行なっとらんのやな
今でも軍需産業がそれなりに強い

実際に行ってみれば長崎で平和記念公園以上に目立つのは三菱の工場とか研究所で、市内には至る所に三菱の事業所が存在する言ってみれば三菱の企業城下町や(三菱通りなんてのもあるくらいやし)

イージス艦も造っとるし、重工記念病院だってあるで
革新自治体のイメージ強い広島と違うて共産党さえも長崎では三菱に頭を上げられへん体たらくや

ほんで、日本で魚雷を造れるのは唯一三菱重工だけなんやが、隣町の長与には魚雷製造工場もある

今も日本を代表する軍都なんやね

172 :しば塾 ◆2Vesh.FSeQ :2022/08/12(金) 11:32:08 ID:/4eKxxQeI
>>171
確か長崎は軍需工場とかは無事でしたしその影響でしょうね。

173 :一般名無し質問者:2022/08/12(金) 14:05:32 ID:DUa0jj7D0
当職の地元も重工業地帯で軍需工場もあったからきっかり爆撃されてて、地元の戦中世代はみんな防空壕に逃げ込んだ経験してるから他人事じゃないナリね

174 :一般名無し質問者:2022/08/15(月) 22:09:36 ID:eH3wcEG10
東條英機って東京麹町区(千代田区から神田を除いた範囲)出身の割になんか訛ってませんか?
https://youtu.be/EvDlpwWz9Ag

175 :一般名無し質問者:2022/08/16(火) 09:22:24 ID:VoSa4jjb0
大阪ど真ん中出身のどんでんが関西人でもあまり聞いたこと無い変な言語を話すようなもん

176 :一般名無し質問者:2022/08/16(火) 12:51:19 ID:1D+vs6xZ0
東條英機って父親が岩手だったような?

177 :一般名無し質問者:2022/08/18(木) 01:28:41 ID:iSwt6EEz0
>>176
●はい。
父の東條英教は盛岡出身です

178 :一般名無し質問者:2022/09/11(日) 19:24:36 ID:kZ8zH+0m0
文明開化まで日本では肉の消費量が極端に少なかった筈ですが、これは当時の東アジアでも特異な食文化ですか?

たとえば中国は「4つ脚のものは机と椅子以外、2本脚のものは家族以外、飛ぶものは飛行機以外、水中のものは潜水艦以外、なんでも食べる」と称されますね

179 :一般名無し質問者:2022/09/11(日) 21:01:51 ID:3EVEQCS1I
なぜ島原でキリシタンの反乱が起きたのですか?

180 :一般名無し質問者:2022/09/12(月) 15:29:25 ID:SGkybMf70
>>178
東アジアの中で比較すれば特異だと思いますがアジア全体で見れば事情は違いますが特異ではないと思います

>>179
1634年からの3年間は島原の地では凶作が続いたにも関わらず、松倉勝家が厳しい年貢の取り立てや拷問を行ったことに対して領民の不満が高まり、以前から盛んに行われていたキリシタンの迫害への反抗と合わさって大規模な反乱となりました

181 :一般名無し質問者:2022/09/12(月) 18:45:59 ID:U6sTCO/Hi
>>180
これで一番笑えるのはその後松倉勝家は切腹すら許されず斬首ポアされたことでふね

182 :一般名無し質問者:2022/09/14(水) 08:40:46 ID:wC87kaGT0
松倉氏は何故大和から島原に転封されたんですか?

183 :一般名無し質問者:2022/09/14(水) 08:42:35 ID:wC87kaGT0
筒井氏ってなんで僧侶と大名を兼ねていたのですか?

184 :一般名無し質問者:2022/09/20(火) 00:23:08 ID:J3UuA6X+0
先日の(44)のYouTubeライブで

>個人の自由だったり権利というものを確立する
過程はある面でその、市民による獲得という形
じゃなかったので、そこへの意識というものが
実はやっぱり薄いですよね。

と言ってたけど、大日本帝国憲法制定前に全国
各地で私擬憲法案が作られてた事実を知らない
のかと問い詰めたい


185 :一般名無し質問者:2022/09/20(火) 00:59:34 ID:/w99XxwB0
尊師の方こそ社説レベルのべき論ばっかり繰り返してお上意識の塊なのにその自覚がなさそうなのが気になる

186 :一般名無し質問者:2022/09/20(火) 07:00:11 ID:JZZBXJWk0
>>184
N国の誰かさんのマネして令和の百姓一揆と連呼していたときは特に酷かったですね・・・
文系でも歴史には全く詳しくないんだなって思った一瞬でした

187 :一般名無し質問者:2022/09/25(日) 17:23:14 ID:hsyXwUWq0
戦時中、ジャズなどは弾圧されたそうですがクラシックはどういう扱いだったんですか?

ヴァイオリンを「ひょうたん型糸擦り器」と言わされたと美輪明宏さんは非常に憤っていましたが
https://www.topics.or.jp/articles/-/8272

ただ、軍にも音楽隊はあったはずだし、軍歌などは吹奏楽にせよストリングスにせよオーケストラで演奏されたはずです
それに西洋クラシック音楽の本場は英米などではなく、ドイツとイタリアでしょう

188 :一般名無し質問者:2022/09/29(木) 02:15:52 ID:66W3tipJ0
>>187
日本では特に強い規制はなかったですね
ドイツとイタリアは政権が支えたものと弾圧したものとで両極端でしたが

63KB
新着レスの表示

名前: E-mail(省略可)
READ.CGI - 0ch+ BBS 0.7.5 20220323
ぜろちゃんねるプラス