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日本史学習スレ inバリュケー

1 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/06/21(月) 01:05:20.58 ID:D7AsB+rK0
日本史についての理解を深めましょう

2 :名無しさん@破産CEO:2021/06/21(月) 05:24:42.65 ID:C48EGMmq0
なぜ鎌倉仏教の法衣は黒なのでふか?

3 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/06/22(火) 13:34:35.76 ID:QYN/lprn0
袈裟は法衣の色に合わせて好きな色のものを着ることができまふが、法衣はそうもいきません
理由は法衣の色が僧階や僧位と呼ばれる僧侶の階級によって異なるからでふ
真言宗では淡黄色→黄色→濃黄色→紫色→緋色の順で僧階が高くなり、黒色はもともとは最下層の人が着用する色でした(パジャマのような普段着として高僧が着用することもありました)
鎌倉仏教で黒色が主流になったのは浄土真宗の開祖である親鸞が僧階関係なく黒色の法衣を採用したのが一因で、後の異宗派の鎌倉仏教にも影響を与えました

4 :名無しさん@破産CEO:2021/06/22(火) 20:24:48.34 ID:i0X26KxH0
ニヒケー前スレ
日本史学習スレ
https://inter-concierge.net/test/read.cgi/inamura/1611642208/

5 :名無しさん@破産CEO:2021/06/26(土) 05:51:23.10 ID:5g2xlJ/M0
倭国と日本国は違う国だったのでしょうか?

6 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/06/27(日) 00:02:23.89 ID:seNgccpC0
倭国は中国(当時は漢)が日本のことを呼んだ国名でふ
日本国は倭国と日高見国(東北地方辺り)の2カ国に分かれていたという見方があり、それら2カ国を合致させて付けた名称だと言われていまふ
東北地方は大和政権の権力が呼ぶまではあまり開拓された地ではなかったため、当時は倭国とは違う別の国があるという見方がされていたようでふ(これには諸説あるので一概に正しいとはいえませんが)
倭国という名称は後漢書で光武帝に「漢委奴國王」の称号を授けたとの記述があるため大昔から知られた名前でした(ただ金印では倭の字が間違えられていまふ)
なので倭国=日本国は一概に間違いでもないし正解とは言い切れないしという何とも微妙な結論になってしまいまふ
倭国の倭の字には卑しいという意味があるため、金印を授けられた時代(57年)から中国からすでに言わばジャップ呼ばわりされていたのかもしれませんね

7 :アンノォマロカリス(43) ◆./no.wK82w :2021/06/27(日) 08:18:33.34 ID:dzNxW2A60
>>6
今も大概なのに昔なんか中国が一番強い、ですからねぇ…
聖徳太子はよく「対等に付き合おう(提案)」と言ったものでふ
奈良時代には特産品等を都に持ってくる調という税がありましたが遠隔地から食材運ぶなんて絶対腐りそうですが大丈夫だったんですか?

8 :名無しさん@破産CEO:2021/06/27(日) 10:19:23.98 ID:KZiIg/Z70
最近保春院が実子伊達政宗を暗殺未遂は嘘と言われてるってマ?

9 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/06/27(日) 19:55:09.67 ID:XCfAOpV50
様々な諸説があるので毒殺したのはガチとか実は嘘とかさまざまでふ
伊達政宗と義姫の仲は悪かったみたいな話もあったりそうではなくて小次郎の方であったり、何が正しいかは分かっていません

10 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/06/27(日) 20:00:06.87 ID:2QD7npvI0
>>7
調税のメインは正調と呼ばれる繊維製品がメインだったので途中で腐ってダメになるみたいな話はないかと思われまふ
特産品というのは食材ではなくて紙や漆細工、焼物のような工芸品がメインでした(調副物と呼ばれ、正調とは別扱いでふ)

11 :名無しさん@破産CEO:2021/06/29(火) 06:02:27.26 ID:hxrfAJg40
三笠宮双子説ってどこまでが本当なのでふか?


12 :名無しさん@破産CEO:2021/06/30(水) 11:38:49.84 ID:QFStXCkZI
行基はどうして高僧になれたのでふか?

13 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/06/30(水) 17:44:58.63 ID:fbY8qpI80
>>11
以前ニヒケーにも書きましたが双子は畜生腹と言われ忌み嫌われる存在でした
なので双子の存在は抹消されることが非常に多かったため、今となってこのような疑惑が生まれるのでふ
昭和時代にも双子は忌み子扱いされていたので片方は即養子に出したり捨て子・死産扱いすることも珍しくありませんでした
本当に双子だったのかは不明でふが、それが事実でも嘘でもどっちみちそう言われるのが不吉なので宮内庁は当然全面否定するのでふ

>>12
彼の建築に関する知識や技術が聖武天皇に大歓迎されたからでふ
昔は民衆へ仏教を直接布教することを禁止とあったので彼の存在は腫れ物同然でしたが東大寺の大仏作りでは大活躍したので一転して彼は高僧になることができたのでふ
ちなみに、14世紀の歴史書神皇正統記では東大寺建立に大きく貢献した人物として四聖とされていまふ

14 :名無しさん@破産CEO:2021/07/01(木) 18:36:10.20 ID:CjU8oRMq0
世阿弥が南朝のスパイだったとはマジなのでふか?

15 :ガイジ滝口の武士:2021/07/05(月) 23:57:15.35 ID:ivqTAt340
最近聞くばかりであまり答えられていませんが
東条内閣を評価して近衛内閣を戦犯(重大な失敗を犯した者の意)扱いする論があるのは何故ですか?
高校で習った範囲だと近衛内閣はわざわざ開戦派の松岡洋右を排除するために解散を行ったり対米和平交渉をするなど最大限の努力はしていたように見えます(東条は開戦した当時の内閣で防衛ライン落とした責任取って辞めた事と戦後ポアされたくらいしか知りません)
当方が歴史本などをあまり読んでいないため知識不足なのかそれとも所謂ネットでウヨウヨしてる人の妄言だと切り捨てる案件でしょうか

16 :名無しさん@破産CEO:2021/07/07(水) 18:16:27.29 ID:S2QLU2uK0
新体制運動とか言うナチスのまねごとをしたり、終戦直前に天皇に終戦を主張した聖人かと思いきや東条に全責任を押し付けられればそれでいいと言い放ったり、
逮捕前に自殺して評価があまり下がらなかったりすれば歴史を嫌われるものから嫌われるのは当然
何より強調したいのが国民政府を相手とせずと言い放った張本人で汪兆銘を擁立し講和の道を閉ざしたのは近衛首相に責任があるということです
放送大学の教授も戦争責任を問うような主張をしていたのでウヨウヨの戯言と切り捨てるのはさすがに駄目です

一方の東条首相は日米開戦を主張し近衛内閣の失脚を率いたもののあそこまで行ったら世論・軍部の意向的にもはや引き下がれない状態でした
日中戦争の泥沼という事実も連戦連勝という風に言い換えれば一部の軍人が何故あそこまでが強気だったか理解できるのではないでしょうか
松岡洋右は開戦派だったというのはドイツに呼応した対ソ宣戦布告を主張したと言うことですか?
松岡洋右が三国同盟を結んだのはアメリカに参戦されないためであって仮に先生が松岡は日米開戦賛成派と言ったのだとすれば先生の言っていることは間違いです

17 :ガイジ滝口の武士:2021/07/07(水) 18:57:59.88 ID:U7N7sgZ90
>>16 授業中のメモ書きを見返した所「松岡を排除するために解散した」までしか書いてなかったため実際「松岡が“開戦論主張してて”邪魔だったから」はうろ覚えで存在しない記憶だったかも知れません

18 :ガイジ滝口の武士:2021/07/07(水) 19:04:52.47 ID:U7N7sgZ90
追記
三国同盟は「米を仮想敵とした同盟」とあったので参戦されないためというのは違うのでは?(独伊の力を抑止力とするという考えなら分かりますが)
予備校のテキストだと「対米強硬論者の松岡を排して交渉継続を図るため」とありました(勘のいい人ならテキストから当職の予備校が特定できそう)
何はともあれ「開戦派」は言いすぎたようです、失礼しました

19 :名無しさん@破産CEO:2021/07/07(水) 21:32:42.35 ID:OuN8qbgs0
なぜ平安時代以降は女流文学が発展しなかったのでふか?

20 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/07/08(木) 12:35:47.39 ID:lYZOz2pE0
>>14
世阿弥は南朝系の人間なのに北朝の足利義満から庇護を受けたというのはどこか違和感がありまふね
南朝の人間が北朝のトップにこんなに気に入られるのにはどこか裏がある、そうか世阿弥は実は北朝に南朝の情報を垂れ流しにしているんだな!スパイだ!
真偽は不明でふが恐らくこんな感じでしょうね

>>19
公家の経済力が平安時代以降低迷していったことが原因かと思われまふ
平安時代は仮名文字による新たな作風の可能性があり、更には自分の娘を天皇の妃にするべく女性に教養を身につけさせる必要がありました
そのため枕草子や源氏物語のような女流文学が国風文化の一環として誕生しました
しかし時は鎌倉時代となり武士の世の中となったことで天皇や朝廷の影響が小さくなり、教養の意義が薄れてしまいました
そのため女流文学は下火となりました

21 :名無しさん@破産CEO:2021/07/08(木) 13:41:02.67 ID:LDn2Z2Wk0
>>18
抑止力ということです
自動参戦条項と言うのは同盟国のいずれかが他国に宣戦布告された場合に参戦するということですから
参戦されないことが望ましいと考えたことと参戦することが望ましくないと考えたことは矛盾しません
独ソ戦直後に対ソ宣戦布告するのと太平洋戦争末期に宣戦布告されるのが全然違うように南部インドシナ進駐直後に米英蘭に宣戦布告するのと進駐からいい加減たってから日本の石油備蓄が干上がりアメリカの戦時体制が整ってから宣戦布告されるのとでは全然意味が違います
大抵はどの国も自分が有利な時に最初に攻撃の準備が整ってから戦争したいわけですし戦争せずに目的が達成されれば万々歳です
だから戦争せずに満州を中心に築いた経済ブロックが確定後の泥沼化した無用の戦争日中戦争(そもそも始めなきゃよかったのに)を一刻も早く終わらせようと考え外交的に有利な立場を得ようとしたのです
yourei.jp/参戦条項 多分情報源はmuyope
自動参戦条項 国士舘 レジェメ 

22 :名無しさん@破産CEO:2021/07/08(木) 13:41:04.45 ID:QPt30uwWI
ハルとの交渉を打ち切った東條が悪い
そもそも交渉が既に破綻気味だったから打ち切りは正当
よって近衛が悪い
2通りの見解があるようでふ
どっちも間違いではないような気はしまふね

23 :名無しさん@破産CEO:2021/07/08(木) 13:58:59.05 ID:LDn2Z2Wk0
南部仏印進駐をした直後に戦っていればもう少しましな負け方をした
そもそも当時でさえアメリカ相手の戦争は大国が一致団結したかドイツの民族イデオロギーがもう少し弱くて核兵器開発に成功していたのでもない限り確実に負ける
和平交渉をずるずる続けていたらドイツが負け続けて石油備蓄が無くなって軍部もアメリカに屈服せざるを得なくなり当面の間ブロック経済圏に耐えて経済の壊滅に耐えて史実よりも今の国力は弱いだろう
日本以外の情勢はこれは戦時中の米英の援助の度合いとスターリンの動向次第だが中華民国の本土存続と引き換えに史実よりも植民地の独立が遅れたといったところ
(日本が英蘭に宣戦布告しなくとも英蘭はドイツとの戦争で疲弊していた上に植民地は経済的な利点が最早薄れていて勢力圏は必要だが植民地を必要としない米ソの台頭は変わらないので)
当たり前ですが不景気になったら必ず戦争になるわけではありませんので世界恐慌があったから戦争は避けられなかったという主張には私は否定的です

24 :名無しさん@破産CEO:2021/07/08(木) 14:02:08.20 ID:LDn2Z2Wk0
>>23
最後だけ丁寧語にしてしまいました
当職 無能 

25 :名無しさん@破産CEO:2021/07/08(木) 15:46:31.44 ID:LDn2Z2Wk0
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO2841598022032018000000

26 :名無しさん@破産CEO:2021/07/11(日) 17:33:48.38 ID:0i3R7Pst0
プラザ合意がなければ日本のバブル崩壊は無かったでしょうか?

27 :しば塾 ◆2Vesh.FSeQ :2021/07/11(日) 17:35:35.60 ID:n9zlMcbb0
>>26
バブル景気はプラザ合意がきっかけで起こったんでプラザ合意がなければバブル景気がないからバブルの崩壊もないといえなくはないでしょう。

28 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/07/13(火) 00:55:30.74 ID:qbX0DLMc0
プラザ合意がなければそもそもバブル時代は来ていなかったかと思いまふ
円高に恐れて低金利で通貨を刷りまくったので土地の価格が異常なほど高騰したのでバブル経済が起こりました
地価は絶対に下がらないという迷信(?)から土地神話が信じられていました
一応バブル景気が来た前提で話しをするなら、崩壊した直接的原因は日銀と政府の自爆でふ
あまりに膨らんだバブルを何とかして収束させたかったのに引き際をミスってバブルが弾けました
引き際さえ間違えていなければもう少し続いていたかもしれません

29 :一般名無し質問者:2021/07/15(木) 15:50:11.64 ID:LAilJpv20
大隈重信が「教育はともかく政治は無能」と言われてるのは
・二十一ヶ条の要求
・工場払下げ概則失敗とインフレの大隈財政
・大審院は外国人判事任用と妥協した
・初代大隈内閣(憲政党)が内ゲバで短命に終わった
が原因であってますか?

30 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/07/16(金) 14:43:57.64 ID:NnGsbvlq0
二十一ヶ条の要求は間違いないでしょう
これによって中国の対日感情を悪化させ、列強からも日本調子に乗ってるなという印象を植えつけてしまいました
要求なんてせずにおとなしく関東州返還しておけばまだ現在の評価は変わっていたかもしれません(ただ当時の世論は黙っていないでしょうが)
当職が思う良くなかった点は伊藤派閥の転覆を謀ろうとした(結果明治十四年の政変に繋がりまふ)こと、三菱とズブズブな関係にあったこと、憲政党での内部分裂により効力がいまいち発揮できなかったことだと思いまふ
あと外国人判事任用問題を引き金に大隈は暗殺されかけているので不満を持っていた人はいたでしょうね
領事裁判権撤廃を巡っての妥協案だったようでふが、当時の日本が領事裁判権の意味をいまいち理解していなかったように感じてなりません
今考えれば全く妥協案でもないでふが

31 :一般名無し質問者:2021/07/20(火) 07:34:08.42 ID:5pAJCIYl0
関孝和はなぜ鎖国していた時代に高等数学を研究できたのでふか?

32 :一般名無し質問者:2021/07/20(火) 23:11:31.80 ID:sF5dYZit0
漢語に訳されたものならばセーフで中国や日本の文献にあまり制限はなかったからです
彼は天才だから西洋の文献なしで探求できたでしょう
後に徳川吉宗の時代に学術的価値のある洋書の輸入は認められましたが、一切西洋の文字を入れることはできませんでした
あと西洋が学問的にすべての面で優れていたわけではないので

33 :一般名無し質問者:2021/07/24(土) 22:17:32.59 ID:8+Gmc5OA0
第四次吉田内閣は不信認を喰らった(バカヤロー解散)にも関わらず何故直後第五次内閣として復活できたのでふか
やはり愚痴がマイクからダダ漏れしても吉田を望む国民が多かったのでしょうか

34 :一般名無し質問者:2021/07/24(土) 22:49:28.67 ID:8+Gmc5OA0
>>33 誤:不信認 正:不信任

35 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/07/25(日) 03:45:40.09 ID:eAs0jaVB0
知恵袋よりとりとり
https://tinyurl.com/2zmwrerf

36 :一般名無し質問者:2021/07/29(木) 19:01:07.61 ID:r8fiwgBZ0
毛利元就はなぜ一代で西日本の有力戦国武将になったのでふか?

37 :ガイジ滝口の武士:2021/07/30(金) 21:23:12.89 ID:Il+ifYT10
>>36
極めてざっくり言うと謀りだね(ドライ紋章)
具体的に言うと陶氏に有能な家臣を讒言でポアさせたりとか
この他に三本の矢(大嘘)の物語で言われるように人心掌握に強芋だった事と厳島の戦いの奇襲などに見られる戦略眼も挙げられます

38 :一般名無し質問者:2021/08/03(火) 00:46:30.75 ID:qZWFWKr60
徳川家定が脳性麻痺だったとはマジなのでふか?

39 :一般名無し質問者:2021/08/11(水) 10:23:28.90 ID:fU90PQvv0
応仁の乱についてわかりやすい本はありますか?

40 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/08/12(木) 02:02:01.07 ID:EDQrv3870
>>38
その説が有力だと言われていまふ

>>39
参考までにどうぞ
https://ranking-best.net/2832

41 :一般名無し質問者:2021/08/16(月) 13:58:29.11 ID:Asq/+C0K0
なぜ関東軍は日本政府の命令を無視し戦意拡大を図ったのでふか?

42 :一般名無し質問者:2021/08/16(月) 14:05:47.41 ID:E0mT/ae1I
日本は強い国だと勝手に自惚れていたからです

43 :一般名無し質問者:2021/08/16(月) 14:52:17.34 ID:3gpuUf++0
当時の日本は大恐慌、昭和金融恐慌を受けて特に都市部と田舎の格差が極端に広がっていました
特に田舎出身者の多い軍隊ではこれは真剣に捉えられていたようで、彼らは占領地の拡大によってこの問題の解決を志向します
その中に例えば満蒙開拓団があり、これは要するに現地の人を追い出して日本人を入植させ仕事を与えようと試みたものです
http://www.gendaiza.org/aliansa/lib/21-02.html
また日本から十分な資金を与えられていなかったらしく、足りない分を現地の人々に麻薬を売りつけることで自活します
これは最盛期には関東軍の収益の半分に及んでいたといわれ、軍板では日の丸を麻薬の旗だと勘違いしてた人の話が良くネタにされます
こういった迷惑行為はいくら中国が内戦状態にあったとはいえ余計混乱すると鬱陶しがられ、幸か不幸か利権を求める米国などの諸国が大量の支援を送ってくれていたので日中戦争になるのですが
いくら現地人に嫌われても本国が不景気で大変な中今更やめるわけにはいかないのでそうなりました

44 :一般名無し質問者:2021/08/16(月) 15:02:42.78 ID:Me0pTzZYI
板垣征四郎、石原莞爾率いる陸軍が積極でに大陸進出を目指しました
その結果が満州事変です
当時の日本政府は日本の中国進出に対してアメリカがあからさまに警戒色を発していたので慎重に行動すべきと考えていたようです(アメリカは自国で南北戦争のゴタゴタがありました)
事実満州事変は成功に終わったので、以降陸軍の暴走は止められなくなってしまいました

45 :一般名無し質問者:2021/08/16(月) 15:03:31.24 ID:Me0pTzZYI
積極て→積極的
当職無能

46 :一般名無し質問者:2021/08/17(火) 14:54:53.93 ID:xXdLh0B00
なぜ池田首相は貧乏人は麦を食えなどと言ったのでうか?

47 :一般名無し質問者:2021/08/18(水) 18:49:32.86 ID:WffgBaFWi
説明しようかと思いましたがmuyoぺの記事が詳細に書かれてるのでそれを見るのが良いと思います

48 :一般名無し質問者:2021/08/19(木) 10:07:56.01 ID:dxhJ0pMC0
なぜ江戸末期に攘夷を唱えていた人達ざ明治時代になると脱亜入欧と言い出したんでふか?
手のひらクルクル過ぎやろ

49 :一般名無し質問者:2021/08/19(木) 10:31:35.27 ID:uS3SePRQI
正に井の中の蛙大海を知らずです
いざ開国して"日本遅れてるやん"と痛感したら脱亜入欧思想にコロッと変わってもおかしくないかと思います

50 :一般名無し質問者:2021/08/20(金) 09:58:01.39 ID:6EDK67Id0
なぜ伊能忠敬は隠居の地図作りにあそこまでの情熱を傾けたのでふか?

51 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/08/21(土) 15:07:01.64 ID:bLr3V6EH0
江戸時代には暦の改訂の動きもあり、伊能忠敬は年下の天文学者の高橋至時に弟子入りして天文学や測量について学びました
江戸幕府が取り組もうとしていた改暦計画に自身も参加したいと50代の伊能忠敬は思ったのでしょう
実際伊能忠敬は隠居前から独学で暦学を学んでいたことも知られていまふ
あと測量を始めた時期はちょうどラクスマンの根室入港や択捉島への上陸事件といったロシアからの影響もあり、師匠の高橋至時は幕府に対して蝦夷地の正確な地図を作る必要性も訴えていまふ
その事業を幕府は了承し、伊能忠敬が抜粋されたのでふ

52 :一般名無し質問者:2021/08/25(水) 10:52:10.25 ID:iB28+ttF0
なぜ三内丸山遺跡では何百年も縄文人が住んでいたのでふか?

53 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/08/26(木) 02:38:18.11 ID:nqfLTGKK0
彼らは共同体(ムラ)をつくり、定住しようとさまざまな知恵をつけていったからでふ
縄文時代早期はちょうど氷河期が終わり温暖化を始めた時期であったために周囲で環境変化が起こりました
更に日本特有の春夏秋冬の自然がもたらす恩恵の影響も強く受けました
これによって食料や動植物が豊富に摂取できるようになったために何百年も住み続けることが可能となったのでふ

54 :一般名無し質問者:2021/08/29(日) 00:35:01.30 ID:Nq2c11Kb0
なぜ足利尊氏は幕府を開くことができたのでふか?

55 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/08/29(日) 03:43:34.83 ID:D0lM40/80
足利尊氏が鎌倉幕府を崩壊させた後は後醍醐天皇による建武の新政が始まるのでふが、後醍醐天皇が天皇親政を行ったり、恩賞が十分行き届かなかった御家人がいたりと、多くの御家人にとっては都合の悪い制度でした
しかも倒幕後は関係が良かった後醍醐天皇と足利尊氏との関係性も、後醍醐天皇が楠木正成や新田義貞と仲良くし出してから次第に亀裂が入ってきました
そして建武の新政が始まってから3年後に後醍醐天皇に不満を持つ御家人と共に足利尊氏が後醍醐天皇の追放に成功し、足利尊氏が新しく立てた天皇から征夷大将軍に任命してもった後に室町幕府を開きました
成功した理由は、足利尊氏を慕う御家人が多かったことにあるかと思いまふ

56 :一般名無し質問者:2021/08/29(日) 12:55:51.03 ID:FClcRzvTI
南部仏印進駐を行わなければ太平洋戦争は回避できましたか?

57 :一般名無し質問者:2021/08/31(火) 04:34:54.07 ID:EeCULSydI
南部仏印進駐でアメリカを怒らせたのは事実ですが、太平洋戦争の直接的な原因ではないかと思います
本当に太平洋戦争を防ぐのなら満州事変や盧溝橋事件にまで遡る必要があるかもしれません
援蒋ルート遮断は中国の軍事力低下は見込めても、別の大きな敵を作る可能性があったんですよね
今で言うところのタリバンは弱められるけどアルカイダを敵に回す...みたいな(あくまでも一例なので現実での話はまた別です)

58 :一般名無し質問者:2021/09/03(金) 05:08:38.05 ID:/8W7cJYS0
なぜ朝鮮半島はアメリカとソ連が分割統治したのに日本は分割統治されなかったのでふか?

59 :一般名無し質問者:2021/09/03(金) 08:03:05.63 ID:RCjHMsVc0
>>58 主に日本と戦ったのはアメリカなので他国はあまり口出しできずそのアメリカは天皇を利用して統治しようとしたため

60 :しば塾 ◆2Vesh.FSeQ :2021/09/03(金) 12:24:25.87 ID:lu/0B79H0
>>58
朝鮮半島にソ連軍が侵攻した日本本土には侵攻してないからです
朝鮮半島とソ連は直接国境を接していたので対日参戦後すぐに侵攻しました
一方で日本本土とソ連との間には南樺太と千島列島があったので侵攻が遅れ
北海道上陸前にはアメリカ軍がすでに来ていたので日本は分割統治をされませんでした。

61 :一般名無し質問者:2021/09/07(火) 12:52:15.30 ID:q+gJ/U7L0
なぜ里見義堯は注目されないのか

62 :一般名無し質問者:2021/09/07(火) 21:18:52.27 ID:WqhDxG0cI
後北条氏と覇権争いで揉めに揉めて房総半島辺りしか勢力圏にできなかったからです

63 :一般名無し質問者:2021/09/08(水) 19:41:16.03 ID:DP94Tq8j0
防人が主に東国から徴収された理由が分かりません
消耗や行き倒れのリスクを鑑みて中国地方辺りの西国から持ってきた方が合理的な筈です(特に軍事は最重要事項ですし)

64 :一般名無し質問者:2021/09/08(水) 20:13:45.71 ID:yVBis+Gc0
本来の住所から遠方なため
脱走しづらくさせるためと考えることもできます

65 :一般名無し質問者:2021/09/09(木) 08:08:09.29 ID:mDY470K50
何故坂本龍馬は過大評価と言われているのでしょうか

66 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/09/11(土) 10:22:03.28 ID:5961MBIc0
現在の坂本龍馬の評価は司馬遼太郎による創作のイメージと混合している感はありまふ
例えば薩長同盟は特別坂本龍馬である必要はありませんでしたし、何なら大半は西郷隆盛の指示に従わされていたと言った方がよいかもしれません(要するに龍馬の仲裁で同盟ができたというのは事実と異なりまふ)
それに坂本龍馬と勝海舟の関係は周知の通りでふが、一方西郷隆盛との関係性はあまりよろしくありませんでした
まずその辺から事実と異なりまふ
次に大政奉還に一役買ったというのも無理がありまふ
坂本龍馬が大政奉還の必要性を訴えたとされる船中八策は後世の作り物やジョン万次郎のアメリカの政体を翻訳しただけと言われているので、坂本龍馬本人の思想と考えることは難しく、そのため大政奉還との関係性も薄いように感じまふ
あと坂本龍馬は自由人と言うよりかはニヒリストに近い人物ではあるのでその辺りも創作要素が強いかと思いまふ

67 :一般名無し質問者:2021/09/12(日) 10:18:43.45 ID:wkHCDohp0
なぜ原敬は暗殺されたのでふか?

68 :ガイジ滝口の武士:2021/09/12(日) 20:08:54.49 ID:+0ooYrpp0
>>67 最初は初の本格政党内閣という事で「平民宰相」として期待されていましたが普通選挙には消極的だったり森戸事件などで社会主義関係の学問を断圧した、政党(立憲政友会)の腐敗などから不満が募っていきました

69 :一般名無し質問者:2021/09/12(日) 20:37:09.41 ID:S5jAOwr00
原内閣の下様々な汚職事件が起こったり普通選挙法に反対したことから民衆の反発を招いたからでふ

日本初の本格的な政党内閣といわれる原内閣ですがそもそも当時選挙で投票するには一定の税金を納める必要がありました
原内閣の与党である立憲政友会は産業の振興や鉄道の建設、軍拡などを推進して資本家に利益を与えたため富裕層の支持を得て党勢を拡大していました
しかし大戦景気の反動で起こった戦後恐慌で民衆の生活は苦しくなっていました
先述の通り当時は投票する際に税金を納める必要があったためそういった民衆の声は政治に反映しづらい環境でした
なので普通選挙法を成立させて納税しなくても投票できるようにしようという流れがあったのですが立憲政友会や原首相はこれを拒否
一方党勢を拡大する過程で汚職も行われて野党はこれらを攻撃、民衆は「平民宰相」と期待していたのに上級国民を優遇していると不信感を募らせました
原敬を暗殺した中岡艮一も彼にこういった不満を抱いていたと供述しています

70 :一般名無し質問者:2021/09/12(日) 20:37:41.21 ID:S5jAOwr00
書き込みありましたね すみません

71 :一般名無し質問者:2021/09/15(水) 22:38:33.24 ID:LHvIbkDP0
なぜ中曽根は国鉄を民営化できたの?

72 :一般名無し質問者:2021/09/17(金) 09:49:49.42 ID:zdvtduF90
神風がなければ元は日本を制圧できたのでしょうか?


73 :ZEUS208 ◆CJh/Tcvz2E :2021/09/17(金) 12:16:51.23 ID:l2oKw2Db0
そもそも元軍が優勢の状況にも関わらず海の上で神風直撃までダラダラしてたのは考えにくいです
攻めあぐねて海の上にいたか、もしくは陸から追い返されて船で逃げ出した際に神風が直撃したと考えるのが普通です
なので元々侵攻が上手く行ってなかったところに神風でトドメを刺されたのでしょう
神風があたかも奇跡の様に言われるのは、神社が幕府に恩をせびるために神へ祈ったおかげだと主張したことが大きいかとも思います

74 :一般名無し質問者:2021/09/17(金) 12:50:22.22 ID:jRSJae0mI
>>71
国鉄民営化の真の目的は労働組合遠を牽制することでした
政府関係者同士で利害関係が一致したため割と強引にでも実行できたのでしょう

75 :一般名無し質問者:2021/09/19(日) 09:42:38.14 ID:pI941mMB0
なぜ日本は他のアジア諸国のようにアメリカやイギリスの植民地にならなかったのでしょうか?

76 :一般名無し質問者:2021/09/23(木) 00:21:04.93 ID:qcalwOfD0
なぜ井原西鶴は日本永代蔵や世間胸算用といった経済をテーマにした作品を書いたのでふか?

77 :一般名無し質問者:2021/09/25(土) 22:26:46.24 ID:YUrR9mmW0
幕末に武器を輸入したりと貿易を盛んに行ったから
アヘン禁輸を条約に盛り込むファインプレー
日米修好通商条約が植民地化を防いだと言っても過言ではない

78 :一般名無し質問者:2021/09/26(日) 16:39:44.38 ID:CcSaNjeq0
名主と大名田堵の違いが判りません

79 :里見義堯 ◆fkubBbqJnQ :2021/09/26(日) 18:10:46.43 ID:iv3tJCv90
>>78
名主と大名田堵の違いはほとんどありません
とりとり

80 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/09/27(月) 02:26:56.94 ID:vb/aPFH00
>>76
井原西鶴は大阪の商家の家に生まれ、昔は俳諧師として活躍し、後に浮世草子作者へと転身しました(始めに書いたのが好色一代男でふ)
日本永代蔵は日本で最初の経済をテーマにした小説だと言われていまふ
なぜ彼が経済をテーマにしたものを書いたかに関しては想像しかできませんが、彼が商家育ちだったということと、当時は好色物の作者が多かったため、途中から差別化を図るために別のジャンルに変えたのだと思いまふ
実際井原西鶴は好色物と日本永代蔵や世間胸算用といった町人物以外にも雑話物や武家物といった作品も遺していまふ

81 :一般名無し質問者:2021/09/27(月) 16:32:11.64 ID:r8xR56OdI
律令制下の兵部省と五衛府はどういった差があるのでふか?

82 :一般名無し質問者:2021/09/28(火) 19:44:23.61 ID:fL6WUR6m0
戦国時代の東北地域がやたらと群雄割拠状態のままで
他の地域みたいに巨大な勢力に成長する大名がなかなか育たなかったのは何か理由があるのでふか?

83 :一般名無し質問者:2021/09/29(水) 01:17:06.77 ID:wJmTpf1T0
平清盛がもし源頼朝の助命をしなかった場合その後の平家は安泰だったのでふか?

84 :一般名無し質問者:2021/09/30(木) 19:43:26.73 ID:79bBywTU0
本能寺の変は光秀の独断なのでふか?

85 :一般名無し質問者:2021/10/01(金) 00:16:51.51 ID:7oPwjv9j0
>>84
まだまだ謎は多いですがいつか読んだ「歴史街道」では計画的犯行で根回ししてた説が挙げられてました

86 :一般名無し質問者:2021/10/02(土) 20:53:28.50 ID:m4TOMGAz0
金印をもらった奴国は邪馬台国に滅ぼされたのでふか?

87 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/10/04(月) 02:50:10.57 ID:YFoNfd8c0
>>82
確かに伊達家だけは少し事情が違いまふからね
豊臣秀吉が陸奥地方にまで手を出す前までは割と伊達家が好き勝手していたからというのがあるかもしれません
例えば陸奥南部氏は津軽為信の裏切り行為(結果津軽氏が独立)や檜山安東氏や浪岡北畠氏などとのいざこざがあって(頑張った方ではあるとは思うが)あまり羽を伸ばすことができませんでした
南部の支配した領地が広大が故に中央集権化が進みませんでした
九戸政実の乱が豊臣軍に鎮圧させられてからは目立ったことはありませんね
最上氏も伊達家と揉めて山形に留まったため、戦国時代においてはあまり注目されないような気がしまふ
原因はやはり伊達家・・・
蠣崎氏(後の松前氏)は檜山安東氏から独立してアイヌと貿易やったりコシャマインと揉めたりして何かと忙しかったからというのと蠣崎慶広は豊臣から北海道全域の支配権を認められたため、勢力拡大を図るための南下は考えていなかったのかもしれません
あくまでも当職の一意見でふので参考までに

88 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/10/04(月) 03:04:39.91 ID:mhWWspVu0
>>86
奴国は1世紀から3世紀にかけて現在の福岡辺りにあったと考えられる小国の事でふ
一方邪馬台国が現在のどこにあるのかは定かではない(近畿説と九州説で大きく分かれていまふので)以上、奴国が邪馬台国によって滅ぼされたというのは一概に正解とは言えませんし、
仮に九州にあったところで奴国がなくなった理由が邪馬台国と因果があるのかに関しては断言ができません
邪馬台国は当時の日本(倭国)にあった約100個の国のうち30個ほどを支配していたと歴史書にあるため、奴国は邪馬台国の支配下になってしまった可能性はゼロではないのかな?と憶測まではできまふが・・・
要するに一つ確実に言えることは大和政権が広まった時代までには確実に滅んだということまででふ

89 :一般名無し質問者:2021/10/04(月) 17:45:52.96 ID:ofrVwcIMI
>>83
平清盛の政治に不満をもつ武家大勢いましたので頼朝じゃない人がどこかのタイミングでどのみち反乱を起こしていたと思うので安泰にはならないかと
ただ反乱の首謀者が頼朝レベルなくて平家が買っていたら政治はさらに悲惨な事になっていたでしょう
藤原家の二番煎じじゃそりゃねぇ...
政治に関しては悪評の平清盛ですが、日宋貿易で貨幣経済と自由貿易を行った事や大輪田泊を整備して福原京へ遷都をした辺り、商いの才能はありました

90 :一般名無し質問者:2021/10/04(月) 17:50:18.51 ID:ofrVwcIMI
ただ反乱の首謀者が頼朝のような強い人じゃなくて平家がそれに勝っていたら政治はさらに悲惨な事になっていたでしょう

91 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/10/05(火) 03:20:24.39 ID:Z+IjNdEC0
当職も>>89師に近い考えでふ
>>90にもある通り交易面での政策は良いと思うのでふが、平安時代末頃の武士の多くが荘園の管理をして生活していたのでふが、
荘園の大本の貸主は寺院であり、その寺院を保有しているのが貴族サイドで権力を持っていた国司でふので武士も実は農民同様、税の取り立てに関して嫌な思いをしました
反発すれば最悪荘園の管理権を奪われることもあったようで、武士の権力は安定したものではありませんでした
平清盛が政界進出した際に多くの武士は威張り散らしている国司に対して何か政策を施すことで武士の権力を安定させてくれるやろ、
清盛さんは武士サイドの人間だから武士の為を思った世の中に変えてくれるだろうなと期待したのもつかの間、
清盛は太政大臣になって完全に貴族サイドに立って多くの荘園を手に入れ、更には自分たちの一族(男)は国司に、娘は高倉天皇の后にすることで一族をを天皇家にまで関係を持たせようと、
藤原家と何も変わらないことをしたわけでふので武士たちは期待を裏切られて大憤慨間違いなしでしょう
だからこそ生まれた言葉が「平氏にあらずんば人にあらず」なんでふよね
実権に溺れた平家の言葉と考えるとまた違った見方もできまふ
こうして平家と関係の薄い武士は打倒平家へ方向を向けるようになりました
加えて皇室や摂関、寺院などの所謂旧勢力も平家に辟易して協力したとも言われておりまふ
一方貴族サイドからも平清盛へ不満を募らせるようになったのも平家衰退の原因にも繋がりまふ
>>89にもある福原京遷都の目的は大輪田泊との距離を近づけて経済力を高めるため、 源頼政や寺院などによる不安要素を払拭するためとされているのでふが、この遷都を巡っても平安京の貴族と反発していまふ
政治に関しても後白河上皇から政治の権力を奪って自分勝手にやったというのも貴族が不満を募らせた原因でふね
要するに武士からも貴族からも皇室からも反感を買ったため、頼朝云々関係なく、安泰な世の中にはなっていなかったと思いまふ

92 :一般名無し質問者:2021/10/07(木) 11:02:48.84 ID:M+Wz02cD0
>>77
ノルマントン号で悪名高い日米修好通商条約でふが役に立っていたんやなあ
逆に朝鮮はなぜ同じような状況で植民地化されたんや?


93 :ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY :2021/10/08(金) 23:57:35.31 ID:FGpRgPzl0
>>92
伊藤博文(初代韓国統監)が韓国併合に関しては慎重派の立場だっただけに何ともいえませんわ・・・
1905年の第二次日韓協約で外交権が日本に取り上げられた時点で既に属国だったんでふよね、実は
そんでもってハーグ密使事件が起こって高宗退位に第三次日韓協約で内政権まで没収、しかも韓国軍解体&日本軍駐留を正当化、ここまで来るともう韓国は抗う術がないから韓国統合できちゃうんじゃね?という考えが広まっていったわけであって
桂太郎内閣中心に韓国統合推進を進める中、ちょうど韓国統合慎重派の伊藤博文が安重根に暗殺されたのでもう歯止めが効かなくなってしまいました
韓国側は日本に対し、合併は認めるが対等な立場でいようという対等合併を唱えた最後の最後の悪足掻き程度の声明書を上奏するも秒殺で拒否
遂に1910/8/29から1945/9/09までの35年以上の日本による植民地支配が始まりました
この流れからすると日露戦争まで遡らないと避けようがないでふね・・・
それか伊藤博文が暗殺されていなければせめてもの対等合併は実現していたかもしれないのに・・・安重根は何ちゅうことしでかしたんだ(尚韓国では抗日運動の英雄扱いされている模様)

94 :一般名無し質問者:2021/10/10(日) 00:21:47.87 ID:0ZJ59abw0
関東軍があそこまで暴走した理由を知りたいです

95 :一般名無し質問者:2021/10/10(日) 00:27:15.56 ID:JK1r2mXPI
>>41-44で関東軍についての書き込みがありますを

96 :しば塾 ◆2Vesh.FSeQ :2021/10/10(日) 11:29:20.97 ID:bmDl1o1v0
>>92
朝鮮が植民地化された大きな理由として清朝の朝貢国となったあたりから強まった
小中華思想の影響で欧米との開国に否定的であったことので近代化することに失敗したことや
当時の朝鮮では国王の周りで権力争いが起こっていて父である大院君と王妃である
閔妃が対立してましたが両者とも近代化よりも政治争いを優先し価値ために
清や日本やロシアといった外国勢力を使おうとしてたのでそれらの国々による
内政干渉が起こり結果として独立性が徐々に失われていったことが理由として挙げられます
>>93
多分安重根が暗殺事件を起こしていようと起こしていまいと結果は変わらなかったと
思います、伊藤は暗殺される半年前に桂の方針に賛成しておりそれに向けて
動いていたのでかつては慎重派でしたが暗殺直前はそうではありませんでした
ちなみに安重根が伊藤博文を暗殺した理由は彼の謎の理論のためで
彼は日本の天皇家のことを非常に敬っており伊藤博文が邪魔をするせいで
天皇が本来行いたいことを行えずまた天皇の意思に反して韓国の
独立を奪っていると考えてました、なので伊藤博文のことを
日韓両国における大逆人としそればかりか孝明天皇の死は
伊藤が暗殺したことによるものだと主張し伊藤の暗殺を
正当化してました



97 :一般名無し質問者:2021/10/10(日) 12:28:37.81 ID:3Uv/FJ+L0
>小中華思想
日本の尊皇攘夷運動とも違うのでふか?
>権力争い
14代将軍が一橋慶喜だったら違っていたのでふか?
>政治争いに外国勢力を使う
長州藩がイギリスから武器買ってませんでした?

なぜ諸外国は李氏朝鮮にしたように日本に内政干渉しなかったのでふか?
幕末に強い芋お答えください

98 :しば塾 ◆2Vesh.FSeQ :2021/10/10(日) 13:27:06.13 ID:bmDl1o1v0
>>97
小中華思想とは何かというと元々中華思想という中国にある考えがあって
大まかに言えば中国が徳のある文明的な国で遠ざかるごとに野蛮になっていくという物です
しかし朝鮮半島では一番中国に近い朝貢国であることから数ある中華以外の
野蛮人の中では最も徳がある存在で中国ほどではないものの他とは一線をかす
ものだという考えがありました。ところが清朝が成立してからこの考えが
変わります、というのも清朝を建国した女真族は中華思想に置いてかなり下の
ランクに位置付けれていたので朝鮮としては最も徳の高い中国が野蛮人によって
穢され消えてしまったと考えました。そのため中華の真の後継者は野蛮人である
清朝ではなく2番目に徳の高い我らが朝鮮であると考えたのです
これが小中華思想です
外国勢力を使うといっても朝鮮の場合武器を買うなどという生優しいものでなく
首都に清朝の軍隊を入れて対抗する派閥に攻撃してもらったり
国王自らロシア公使館に逃げ込んで身柄を保護してもらうようロシアに頼み
政務をロシア公使館で行うなどおよそ主権国家とは思えない使い方をしてます

99 :一般名無し質問者:2021/10/10(日) 15:51:06.75 ID:CEYODG1d0
>>95
確認していませんでした
当職 注意力唐澤
猛省します

100 :一般名無し質問者:2021/10/10(日) 17:51:15.33 ID:NdiQYYDR0
>>81の質問にもお答えいただけると嬉しいでふ

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